江戸時代西暦1695年ころの高槻藩の「領地」と、現在2019年の324年後の高槻市の「管轄の地域」を較べてみました。まず安心してほしいのは高槻は江戸時代の藩領と現在の市域が近い(似ている)ということ。他の市に比べてもめずらしいようです。でもよく見るとかなり違うとこともあります。これからその違いを投稿したいと思います!
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どうまとめようかなあと悩んでしたのですが違いも多いためいったん区域を分けて考察することとします。
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まず今回は南部編です。参考資料は大阪府史第5巻の付図を引用させていただきます。薄い青色2番が高槻藩領(永井直達)です。

◆富田は高槻藩でなかった
白色は入組領で、例えば富田は寺社領(青)、大阪城代土岐氏黄色①、天領(朱)だったようです。富田の歴史はかなり複雑なのでこの時代(1695年)に3者の力配分はちょっとわかりません。

◆現在の摂津、吹田の一部まで高槻藩だった!
高槻の南部は柱本までですが、旧高槻藩は摂津市の鳥飼上、鳥飼中、鳥飼下、鳥飼西まで藩領だったようです。この付近を通るとなぜか親近感が出ます。仁和寺大橋から鳥飼大橋の中間くらいまで高槻藩だったんですね。茨木市の島、目垣、鮎川は、高槻藩でなく当時から別れていたんですね。
さらに産業道路沿い吹田の片山町、岸辺町も高槻藩だったようですね。5月に吉志部神社に行った投稿をしています。このような飛び地もあったのですね。
江戸時代 高槻藩あずかりだった吹田の岸辺 吉志部神社に行ってみた


<江戸時代と今の大きな違い概要> ★が今回の気づきです。
・高槻の北部は高槻藩じゃなかった!
  服部地区より北は別の永井家の領地だったよう
  樫田は亀岡藩みたい 
・茨木の山手・山間部は高槻藩だった!
  高山右近のころの領地の影響かもしれません
・枚方の現在の駅付近の枚方宿が高槻藩だった!
・摂津の淀川沿い鳥飼地区も高槻藩だった!★
・富田地区は高槻藩じゃなかった!★
  富田は当時天領だったため高槻藩で
  ありませんでした でも「預かり」だった
  かもしれません
・島本町の山間部も高槻藩だった!
・島本町の駅前(桜井地区)も高槻藩だった!
  島本町の付近も細かく所領の本家分かれて
  いたみたい
・上牧地区は高槻藩じゃなかった!
・吹田の片山町も高槻藩だった!★
・大阪市にも飛び地があった!
  飛び地も多かったみたい

ちなみに、昨年高槻市市制75年でしたが今の形になったのは昭和32年、今から60年前のようです。