高槻藩は1649年頃、
永井直清が藩主となってから
廃藩置県が行われるまで、
永井家十三代(約220年)
続きました。
(※以前に内藤家、土岐家、松平家等が藩主。)
京都に比較的近い高槻藩も
京都藩邸を持っていました。
御所の火消しを担当していたなどの
記録も残っているそうですが、
一体どこにあったんでしょうか?
藩邸があったとされる
中京区の壬生坊城町付近、
洛中小学校を見てきました。



阪急大宮駅、京福電鉄四条大宮駅から
歩いてすぐの洛中小学校です。
藩邸跡を示す石碑などは残っていません。
他のところも
ぶらっと歩いてみました。

壬生坊城町は現在、ほぼ住宅地ですね。
特に分かったことはありませんでした。
高槻に帰り、図書館で
高槻藩について少し調べてみました。
「神になった殿さま -永井神社の名宝と高槻藩-」
という郷土資料を見ていると、
1645年辺りに「幕府から大宮に屋敷を賜った」
という記述がありました。
合わせて、1686年頃の古地図、
「京大絵図」を見てみると、
現在の壬生坊城町の一区画に
「永井 三万六千石」と記されていました。
高槻藩永井家のことですね。
古地図を見た感じ、
洛中小学校辺り(町の北東)よりかは
町の南西側にあったように思えます。
インターネットの情報を
なぞっただけなんですが、
また何か分かったら続きを
書こうと思います!

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