高槻の歴史クイズ その20 西之川原なのに芥川の東にあるのはなぜなのでしょうか?
ブログを始めたころのネタの再々利用ですいません。

現在、西之川原地域は芥川の東側に位置しています。しかし、慶長10年(1605年)にはなんと芥川の西側にあったようです。

答え:慶長10年(1605年)に芥川は現在の塚脇橋(摂津峡公園手前の橋)より少し南の方で、東の方向にぐいーんと折れていました。そして、安岡寺方面から流れる「小山谷川」、黄金の里・東城山方面から流れる「蝉が谷川」の合流地点付近で、今度は南西の方向にぐいーんと曲がっていました。この名残の川のあとがこの場所と思われます。支流なのにかなり大きな合流地点。

この折れ曲がった間、昔の芥川の西側に現在の西之川原の集落があったようです。
では何で今は東側にあるの?っていうとなんですけど、洪水から田んぼや畑、集落を守るために「川替え」の工事が行われました。しかし、江戸時代初期に何百mもの掘削作業は大変だったでしょうね。。。
西之川原という地名にあまり違和感を持っていませんでしたが、こういう理由があったんですね。いまはGoogle mapでも川の跡はわかりませんが、高槻市史付属の地質図などには昔の川のあとがありました。
この川替えは高槻では、女瀬川の昭和の今城塚付近や、年代不詳ですが桧尾川の山手町付近でもあたようです。芥川本流も過去淀川に流れる前に西側に流れていた説も過去投稿しましたがこれはよくわかりません。
※このネタは「近世摂津國嶋上郡 服部村の研究 古藤幸雄 著」を参考にさせて頂いています。

現在、西之川原地域は芥川の東側に位置しています。しかし、慶長10年(1605年)にはなんと芥川の西側にあったようです。

答え:慶長10年(1605年)に芥川は現在の塚脇橋(摂津峡公園手前の橋)より少し南の方で、東の方向にぐいーんと折れていました。そして、安岡寺方面から流れる「小山谷川」、黄金の里・東城山方面から流れる「蝉が谷川」の合流地点付近で、今度は南西の方向にぐいーんと曲がっていました。この名残の川のあとがこの場所と思われます。支流なのにかなり大きな合流地点。

この折れ曲がった間、昔の芥川の西側に現在の西之川原の集落があったようです。
では何で今は東側にあるの?っていうとなんですけど、洪水から田んぼや畑、集落を守るために「川替え」の工事が行われました。しかし、江戸時代初期に何百mもの掘削作業は大変だったでしょうね。。。
西之川原という地名にあまり違和感を持っていませんでしたが、こういう理由があったんですね。いまはGoogle mapでも川の跡はわかりませんが、高槻市史付属の地質図などには昔の川のあとがありました。
この川替えは高槻では、女瀬川の昭和の今城塚付近や、年代不詳ですが桧尾川の山手町付近でもあたようです。芥川本流も過去淀川に流れる前に西側に流れていた説も過去投稿しましたがこれはよくわかりません。
※このネタは「近世摂津國嶋上郡 服部村の研究 古藤幸雄 著」を参考にさせて頂いています。
西之川原の場所
西之川原に関する過去の投稿
▶西之川原地域は芥川の西にあったから「西之川原」だった!
▶西之川原にあるバス停を見てみたら1日に○回しかバスが来ない?
▶いつもの高槻の風景 ~その1~
▶高槻最大のミモザを発見?
▶【西之川原】道路沿いとあぜ道の彼岸花がきれい!
▶西之川原 芥川で放水訓練をしてた 場所表記訂正
▶西之川原二丁目 芥川の河床工事 整備された川をながめると謎の景色を発見! 追記
▶高槻市バスで時計付きのバス停がいくつかあるのか聞いてみた
芥川緑地やこの付近は散策に最高なのでぜひ歩いていただければと思います。
▶特集 【高槻の謎】 いままで投稿した変わったネタをまとめてみた
◆参考 歴史クイズ またこれらもシリーズでまとめてみます。。
▶高槻市の歴史クイズ その19 高槻市立第五中学校はなぜないのか?樫田小学校の昔のプールはどこ?
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