大塚切れ100年シンポジウムが
10月1日にありましたね
高槻の歴史を調べるとなぜか
洪水の話が実に多い、、
ちょうどよい機会ということで
市長の講演だけですが聴いて
きました(長文失礼します)

600人募集でしたがおそらく
100人くらい立ち見+外のロビーで
椅子が並べられて聴講
人があふれています

最初に市長が高槻の大塚切れの
歴史やその後の洪水の歴史、
最近の大雨の増水と現在の取り組み
の講演がありました
大正6年の10月1日大雨で芥川の決壊に
続き、大塚の200mもの堤防の決壊があり
淀川北岸がほとんど浸水していまいました

この図は現場近くの少年のメモ
(これが貴重な記録みたい)
当時堤防を復旧するのに
鴻池組と当時高槻城にいた陸軍
工兵隊の競争で両側から堤防を
復旧したみたい、、埋め戻して
長さで勝ったのはどちらか??
鴻池組みたいです、(上写真の
左側の旗があるところが完成
した場所)
復旧は38日もかかったみたい
さらに大阪市の方ではたまった水を
出すためにわざと堤防を崩した
ようです
(下流の北岸はさぞ迷惑だったと思う)
その後昭和に入ってからの水害の
説明のあと、
現代の課題を説明されました
課題1 危なかったことをみんな忘れる!
平成25年の台風18号のとき
淀川の川幅いっぱいに水が
流れたこと覚えておられます
でしょうか。高槻ゴルフクラブ
のゴルフ場も水没しました、、、
このときは天ヶ瀬ダムや日吉ダムとの
調整で難をのがれたとのこと
(詳細はなかったですが
琵琶湖はこの下流を助ける
約2日間の「ダム全閉」で水位約
77センチ上昇し滋賀県内に
多くの被害がでたみたい、、)
課題2 ゲリラ豪雨が大変!
今の市内の排水設備は
時間50mmの雨までしか想定して
いないため最近のゲリラ豪雨では
それを超えてしまい、床ほどの
浸水の可能性があります
その対策に雨水貯水槽を
作って排水のタイムラグを
作ろうとしていることの
説明がありました
(なんでこんな一瞬で溜まるもん
いるんかなあと思っていましたが
理由がようやくわかりました、、)

安満遺跡公園の雨水貯水槽です

西面(さいめ)の民家では
避難用にも使う船が自宅に
備えてある例や段蔵の説明も、
シンポジウムの最後は
流域自治体がひとつになって
議論をつづけ、上流から
下流までの効果的な
治水施設の運用を図る
などの「淀川宣言」が
宣言されたみたいです、
コメント
コメント一覧 (1)
浜田市長が 率先して 自分の声で 態度で訴えられていたことでした。通常のセミナーでは挨拶のあとは担当者にまかすのげ一般的です。高槻市の力と熱意を実感しました