大阪城の大手門多門櫓と
千貫櫓の特別公開を見学して
高槻城の天守閣、大手門が
あったらどんなだったのか
考察してみました!
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写真の右は向きが見えにくいですが
1800年台に再建された多聞櫓、
左が1620年に建築された
千貫櫓。いずれも重要文化財です。

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この多門櫓は日本でも最大の
ようです
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めちゃめちゃ大きい門です
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多門櫓の門から上を
見上げると1m近い梁です
途中で金具で締められて
いるところは木をつないで
いるところのよう
明石城の櫓の梁でもこの
ような構造がありました、
門をくぐりチケットを購入
櫓の見学で700円でした
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見学のチケット売り場はなんか
外国人いっぱいで他国に来てる
みたい、、笑
多門櫓→千貫櫓(せんがんやぐら)
      →焔硝櫓(えんしょうぐら)
のコースです
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多門櫓の入り口です
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廊下はかなり大きく
横には部屋があって
多くの武士が泊められる
ような構造になっていた
みたい
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多門櫓の屋根裏も多くの柱が
あります
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高槻城も7つの門があった
みたいですがいずれも入って
直角に曲がる枡形門だった
ようですね

しかし大阪城のような2階に
回廊のある門はあったので
しょうか?
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(高槻城絵図引用)
昔の高槻城の古絵図を
みると2階に回廊のあるように
見える門は7つあるようです

いっぽう天守閣ですが3階だった
ことはわかっていて、昨年投稿
した明石城の櫓が似ているんじゃ
ないかなと思います
でもこの櫓は結構古くて明石城
築城400年なんですがそれ以上
あるよう
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大阪城の千貫櫓は1620年
建築が判明しているので
高槻城と建設時期がほぼ
似ています
2階建てですがほぼ天守閣は
こんな感じではなかったのかと
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あと、千貫櫓のように高槻城の
天守閣はお堀の石垣の端っこに
建っていたわけではなく少し内側に
もう一段石垣に囲われて建って
いたのではと推測します

ここは推測なんですが千貫櫓を
歩いて感じたことは石垣の沈み方
より西の丸側の地面の沈下の方が
大きい感じで少し床が傾いてました
高槻城でも同様になるとおもうので
石垣から少し内側に下げたのでは?
古絵図でもそのような書き方のしてる
図があるようです

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西の丸庭園に出ると広大な公園です
誰だ?寝てるのは?
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西の丸庭園の北側には
火薬庫の焔硝櫓(えんしょうぐら)
があります
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内部はこんな感じ

蔵の話の余談
この前の高槻城の二の丸発掘で
初めて蔵の跡がでできました

今年の特別公開は11月25日まで
土日祝日が公開で夏休み中は
月曜休みで他は公開のようです

高槻城に関する過去の投稿
高槻城築城400年 特設ページ