残り少なくなった大河ドラマ「麒麟が来る」ですが、今日戦国武将の松永久秀はついに最後を迎えるようです。この武将は近年高槻の東五百住付近の出身という説が有力になっています。
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(歴史ヒストリア2020年8月1日放送から引用:この肖像画は高槻しろあと歴史館にあるようです)
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特徴的なお顔だったようですね。

明智光秀とはともに武将として織田信長に接点があるようですが、もとは三好長慶(芥川山城主)の家臣で、その後多くの変遷があり信長に仕えたのちに、本願寺攻めのころに大和を任せるのを筒井氏に任命した(大河ドラマで)ため、当時信長が敵対していた本願寺側について信長と対決することに。(当ブログも知識が少ないためつぎはぎの情報でありますが年表を作ってみました。もし他の情報お持ちの方があればお教えいただきたいと思います)

◆松永久秀の経歴の流れですがとても難しいです。(大半の50歳まで省略:後で追記)
・三好長慶が徳島から摂津に拠点を移すときに家臣とし、後三好家主君の家臣として行動します。
1508年に生まれているので下記の出来事は50歳をこえてから。
・1559年松永久秀は三好長慶が河内国遠征に同行し、残党狩りの大和を攻め筒井順慶の筒井城を攻略。翌年興福寺を破り大和を統一。その後大和北部平定、信貴山城を居城とする。
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・1561年三好義興(長慶長男)と六角氏を戦う。
・1562年河内国畠山高政を打ち破る 幕府政所執事伊勢父子を討伐 大和に多門城を築城
・1563年三好長慶長男義興死去 
・1564年三好長慶死去 三好三人衆と長慶の甥の義継を担いで支える
・1565年三好長慶の息子久通、甥の義継が足利義輝(13代将軍)を殺害。久秀はかかわったとされるがそうでなかった。
・1566年三好三人衆から担がれた足利義栄(14代将軍)から、久秀は孤立。
・足利義昭(15代将軍 義輝の弟:信長がともに上洛)をかくまったことで三好長慶のあとの三好三人衆と対立
・1567年三好義継・久秀と三好三人衆と対立。三好三人衆の陣東大寺を攻撃(東大寺大仏殿の戦い、このとき大仏殿焼失)
・1568年織田信長が足利義昭を擁立し上洛 当初同盟の立場に 義継と幕臣の仕事をする
・1569年大和平定継続(筒井順慶は当時没落)本圀寺の変で信長と岐阜から上洛
・1570年織田信長の朝倉義影討伐に参加(義継も)浅井長政の謀反で撤退
 信長と三好三人衆との和睦を調停
・1571年信長は三好家と関係のあった比叡山延暦寺を焼き討ち
・1572年義継と三好勢力を再結集 
・1573年足利義昭と三好義継と久秀和睦。その後信長に敗れた足利義昭は追放される 
    秋に若江城の戦いで三好義継敗死。秀久は多聞城で降伏。三好三人衆もここで終わりとなる
・1574年岐阜に行って久秀は信長に会う、その後筒井順慶も服属。
番組では四国に三好長慶の甥三好長治がいるため、しばらく信長に服属、様子見(推測)という説も
・1577年上杉謙信、毛利輝元(足利義昭は中国地方に逃亡中)、石山本願寺勢力に呼応し、信長に対抗し。本願寺攻めから離脱。(おそらく今日の大河ドラマに出てきます 明智光秀が説得してました)信貴山城を包囲 (勝算あったのでしょうか?信長の主力が上杉謙信を討伐に行ったが上杉が雪で兵を引き返す)織田信長の長男信忠と筒井勢力が囲む。古天明平蜘蛛を渡すよう求めたが、叩き割り天守に火をつけ自害。(このシーンも出てくるのではないでしょうか)

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番組では吉田鋼太郎演ずる松永久秀が信長をどう見たかインタビューされています。
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おそらく信長が出てくる前にはすでに実力者だった松永久秀を最後に振り回した印象があります。

◆高槻の東五百住(ひがしよすみ)のこのへん出身?当ブログの勝手な推測なんですが、
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東五百住(ひがしよすみ)の
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旧家のある付近ではないかと、、
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近くには明治の看板があります。
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また近くにはアジャリの森もあります。五百住(よすみ)の地名はもともと、戦国時代よりもっと歴史が古くて西暦500年半ばのさかのぼります。すぐ近くにあるアジャリの森と関係しています。
(過去の投稿はこちら↓)


参考資料(情報)
高槻Days
歴史ヒストリア(NHK2020年8月1日情報)
Wikipedia