明治7年に破却された
高槻城の遺構を調べていて、
高槻城の遺構を調べていて、
石垣が○○に転用されている
情報がいくつかありました。
本当なのか?実際に見てきました。
情報がいくつかありました。
本当なのか?実際に見てきました。
●JRの鉄橋橋脚に転用された?
明治9年に開通した
東海道線の芥川鉄橋の両側含めて
東海道線の芥川鉄橋の両側含めて
が、特定はできません。
いずれも同年代に作られたと推測します。
いずれも同年代に作られたと推測します。
●上宮天満宮の参道右手の石垣の一部に転用された
参道の中央付近までの
大きな石は丸くて違う感じ。
大きな石は丸くて違う感じ。
登りきった所の小さな
神社の祠の石垣か?
神社の祠の石垣か?
特定ができません。
●JR高槻駅下の地下道の一部に転用された
地下道内部は現在、
全てコンクリートで覆われています。
全てコンクリートで覆われています。
●下田辺高札場のそばにある道標に転用された
以前記事にした
下田部町高札場の側にある
道標が石垣を転用しているとの記載が。
下田部町高札場の側にある
道標が石垣を転用しているとの記載が。
その他の周辺情報として、
高槻城の石垣は櫓周りしかなかったので、
石材はそもそも大量には無かったのでは?
石材はそもそも大量には無かったのでは?
石は少なくとも1mくらいの
大きさがあるけれど、
いずれの場所も30cm程度の
加工がなされています。
大きさがあるけれど、
いずれの場所も30cm程度の
加工がなされています。
JRのレンガトンネルの下半分も
同様の石垣になっており、
もし、鉄橋の橋脚に使われたなら、
レンガトンネルにも使われたはず。。。
レンガトンネルにも使われたはず。。。
ここまでしか分かりませんでした。
皆さんが知っている情報が
ありましたら教えてください!
ありましたら教えてください!
お待ちしています!






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