明治7年に破却された
高槻城の遺構を調べていて、
石垣が○○に転用されている
情報がいくつかありました。

本当なのか?実際に見てきました。


JRの鉄橋橋脚に転用された?
 
明治9年に開通した
東海道線の芥川鉄橋の両側含めて
橋脚7つのうち5本の南側に
石材が使われています。
ishigaki
一通り写真を撮って眺めましたが、
確かに変な石も埋め込まれているなーという感じ。
が、特定はできません。
いずれも同年代に作られたと推測します。 


上宮天満宮の参道右手の石垣の一部に転用された
 
参道の中央付近までの
大きな石は丸くて違う感じ。
登りきった所の小さな
神社の祠の石垣か?
特定ができません。
ishigaki2
ishigaki3


JR高槻駅下の地下道の一部に転用された

地下道内部は現在、
全てコンクリートで覆われています。
入り口には一応石垣がありますが、
ここも特定できません。
ishigaki4
 

下田辺高札場のそばにある道標に転用された

以前記事にした
下田部町高札場の側にある
道標が石垣を転用しているとの記載が。
ishigaki5


その他の周辺情報として、
高槻城の石垣は櫓周りしかなかったので、
石材はそもそも大量には無かったのでは?
 
石は少なくとも1mくらいの
大きさがあるけれど、
いずれの場所も30cm程度の
加工がなされています。

JRのレンガトンネルの下半分も
同様の石垣になっており、
もし、鉄橋の橋脚に使われたなら、
レンガトンネルにも使われたはず。。。
 
ここまでしか分かりませんでした。
皆さんが知っている情報が
ありましたら教えてください!

お待ちしています!