枚方と高槻の大塚、番田の
二ヶ所にあった渡し船の歴史です、、
枚方公園の土手沿いの石碑は
郵便やの渡し船としか表示があり
ませんが、実際どのようなもの
だったのでしょうか、、
高槻市史には記載がありません
枚方の市史にわずかな記載が、、
高槻の大塚、番田に枚方へ
渡る渡し船があったみたい、、
大塚からは枚方の三矢町へ
今の淀川資料館付近
番田からは枚方の桜新地へ
今の桜町 あの蔦屋社長宅付近
大塚からの便は枚方大橋が
昭和5年にできる前に動力船に
なったみたい
いっぽう番田からの渡しは
明治45年から「針金渡し」と
言われる船の先にポールを
つけて川の対岸通しに張った
ワイヤーを伝って移動する
異色の渡しだったみたい、、
船頭が7-8回棒を川底に
差込んだら流れで対岸まで
行ったみたい、、
でも両方から行くにはおそらく2本
のワイヤーが必要ですね、
さらに当時は京阪が明治43年に
できたといえ淀川の水運もあった
ようなのでワイヤーはちょっと
高いところに必要な気もします
でもそこまでの情報はちょっと
ありません。あったら共有を
お願いします!
でも針金渡しも大塚の動力船に
おされ、さらに昭和5年の
枚方大橋の開通で姿を消すの
でした。終り、、
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