高槻城築城400年ということで
ちょうど大河ドラマの舞台のひとつ
でもある浜松城と高槻城を比較、
考察してみました、、
(写真は現地を見に行った方に
いただきました、)
かなりなお出かけ編です、、

◆浜松城
徳川家康が29歳(1572)から
45歳まですごした場所です
元亀元年(1570)、岡崎城を
長男の信康に譲って、
三方原台地の東南端にこの浜松城を
築城してその後家康は武田攻めを
行ったみたい
石垣はいろいろな大きさの石を
積み上げた野面(のずら)積みです
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その後25代代わったみたいですが
その城主の中で有名なのは
天保の改革で有名な水野忠邦です
約5万石です
11月24日でしたが紅葉もきれい
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現在浜松市は高槻市の人口の2倍
79万人、面積は日本で2番目に
広いみたい

参考までに井伊家を祀っている井伊谷
(いいのや)の龍潭寺(りょうたんじ)の
紅葉の写真も
直虎のお墓もここにあるみたいです
浜松城から車で北部へ向かって約40分
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◆高槻城
いっぽう家康の時代はだれが活躍してたのか
1569年芥川山城から和田氏が移動
1573年高山右近が城主(4万石)
1585年秀吉が直轄
  高山右近は明石城へ(別記事参照)
1617年 築城400年の起点はここ
なので徳川の時代に入ってからです
この時の城主は土岐定義氏(2万石)
永井直清氏入城はその32年後です、
1649 3万6千石

やはり浜松は歴史のスケールが大きい
なあと感じた次第、、