高槻城二の丸発掘調査報告が
6月2日にありました 
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どうも高山右近の前の時代の
お堀が発見されたようです
さっそく見学してきました!
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槻の木高校の北側の場所は
高槻のお殿様が住んでいた
二の丸御殿があった場所。
でも明治9年お城が壊されて
御殿の土砂を使ってお堀が
埋められさらに明治42年以降
陸軍工兵隊の練兵場になって
高槻城の御殿の跡はまったく
なくなってしまったみたいです
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今回の発見はその徳川が修築した
高槻城の二の丸の下に、
さらに前の時代、戦国時代の遺構です
当時の高槻城の地面は写真
では人の腰のあたりだったみたい
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幅6mくらいの堀が見つかった
のですがこれはまったく予想をして
いなかったようです
確かに観察してると南西の発掘の
あと迷走している感じでしたので
あれあれ、と東側に掘っていったら
60mもの堀の跡になったみたい
まだまだ続くみたいなのでこの
あとも楽しみです
写真の中央の井戸跡ですが
江戸時代かそれ以降かが
わからないみたいでした
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堀の断面ですが堆積した粘土
が下にあって、上の方が意図的に
埋められたようなかんじです
これがおそらく高山右近が埋めたの
かその前の和田氏が埋めたのかが
謎ですね
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さらにその右には木で作られた
排水のパイプ(木樋)が発見
されたみたい
その横には廃棄された木材が
でもこの木材にはほぞがあり
廃材利用のようです
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手前には弱い土壌を補強する
石垣や木材を埋め込んだ跡があり
排水するパイプの先には排水場
らしき場所が、、
今後もうさらに調査して調べて
いくようです
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しろあと歴史館でこの堀の中で
発見された当時の漆器、皿、、瓦
などが展示されてました
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なかでも普通ならなくなってしまう
ような漆器がそのまま発見
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さらに宅急便の送り状の
役目だった荷札も発見
されたみたい
(かなり小さかったです)

このほか、江戸時代の高槻城の
遺構はまったくないと書きましたが
二の丸にあった蔵の基礎部分
が今回出てきたみたいです
江戸時代の高槻城の初めて
の発見のようです