3日に高槻城の二の丸北側のお堀の
発掘調査報告がありました。
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10時すぎには
およそ300人くらいの見学の
かたがこられていました。
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前の3つの記事
・高槻城のお堀の発掘をしているみたい(4月)
・発掘調査の報告があるみたい(29日)
・発掘調査の報告がある 続報(2日)
を書きましたが、実際何がわかったのか

今回の発掘調査のなかの4つの発見を
記載します、

1.不明門には築城初期には橋が架かって
いたこと(お堀水面と同じくらいに
切られた橋桁が発見されました)
橋桁は片側に角度の違う柱が2列あり
同時期のものではなさそうのこと
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2.二の丸築城のころの資材を運んだ
土橋が見つかりました。両側に土嚢を
積んだあともある、、(写真手前)
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3.不明門の石垣もあった!
石垣の土台の部分の石垣も残されて
いました。造りは本丸の石垣のような
石垣が前にずれるのを防ぐ根固め石が
ありました(2段ある左側が石垣石)
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4.二の丸の北西角の隅櫓には石垣が
なかった!土塁の上に石垣があって
そのまま石垣が持ち去られたみたいです。

多くの方が三の丸からの説明のために
並んでいる間、森田特別館長の特別講義が
始まってしまいました、。高槻の殿様と
淀城の殿様が兄弟だったこと、京都所司代
と高槻藩、淀藩は必ず殿様が離れないこと
が申し合わされていたことなど、歴史の
講座となり最後に見学者から多くの拍手が
ありました、、、
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