芥川の土汽車の謎その5を投稿します 
土汽車の終着点はどのへんだったのでしょうか。前回戦後3年の航空写真では三箇牧小学校の北で作業場のようになっていてそこにトロッコがあると記載しました。当時はそこが終着場だったと推測します。その場所はいまはどうなってるのでしょうか?
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場所は唐崎3丁目 以前投稿した「いつもの高槻 その29」で農道を投稿しましたがその横の水路の水の供給元の付近が当時の土汽車の終着点のようでした。
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新安土地改良区のポンプ場があり、ここには3つの大きなポンプがあるよう。
さらに浄水の機能もあるようです。米の水のために浄水しているみたい。
いままで投稿した内容に深く関わっているかんじがしますね
この水路近くにおられた方にお聞きしましたが、南部の田んぼには淀川からこのポンプ場で汲み上げさらに浄水し、
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この水路から各地域に出されているようです。
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昔の地図と現在の地図を比べるとこのようなかんじ(左:国土地理院の昭和23年の航空写真 右:google mapから引用) ちょうど左中央が戦後の土汽車の終着場と推測する場所です。

前回の投稿
▶【芥川の土汽車の謎】 その4 古い地図や航空写真に汽車のルートは見つかるのか?

▶【柱本町2丁目】 あふれそうで あふれない 絶妙な水量の水路

▶【いつもの高槻】 その29 唐崎 新安土地改良区の農道の風景