芥川の土汽車(どきしゃ)の投稿です
あまり情報はなくて全体像がわからない
ため、いままで投稿できなかったのですが
わかったことからシリーズで投稿していき
たいと思います。
今回は採石場近くの機関車の鉄橋の跡です
高槻のまちかど遺産にもなっていますね
淀川の堤防工事のために大正時代から
昭和30年ころまで
(使われたのはもう少し前までみたい)
高槻第二中学校とその奥の南平台から
採石されて淀川まで運ばれてました。
中央の橋脚跡は写真で見られた方は
あるかと思います

現在見えるのは向こう岸にある橋脚と
合わせて2つの橋脚です。
でも川幅からすると東側にもあったのでは??
今回芥川の河川工事で河川敷に
工事車両がとおるため草がなくなって
います
観察すると枯れたつるよしに埋もれた
もうひとつ橋脚跡を発見!
これは橋脚は別の部材(鉄?)であったのか
土台には穴があいています

でもこの3つめと、もともと見えている
2つの橋脚の間には少し間隔があり、
どうしても「もうひとつ」ありそう。
そこで工事車両が通ったあとをみると
どうも「もうひとつ」の橋脚の先端らしきもの
が!

この土を少しのぞいた中央の白い部分、
堅い石のようですがまったく動きません。
橋脚跡か??

東の堤防の上から眺めると、
4つめ(点線付近)が橋脚だとすると
3つめの橋脚と直線になっています
さらに芥川の東側堤防沿いに走るために
橋上で少しカーブしていたかもしれ
ませんね、、
今後、採石場所や主要道路との交差、
もうひとつの鉄橋、さらにどこまで
線路はあったのかなどなど調べて
みたいと思います、、
コメント
コメント一覧 (2)
少し調べましたが新規の建設は情報が
ないですね ウオッチします、
どこか知ってはります?