JR京都線高槻駅開業150年としまして、大阪‐高槻停車場‐向日町の開業が遅れた理由は?レンガアーチはいつ作った? 高槻城の石垣石はいつ運ばれた? レンガはどこで作ったの? などの謎を調べてみます。  

レンガはどこで作ったなどの表紙

◆大阪と高槻の線路はいつ開通したのか?
まず、明治3年大阪神戸間の工事を着手。この時に3鉄橋、43の木橋、隧道を工事したみたい。明治7年5月11日に大阪神戸間が最初に営業を開始しました。明治9年7月26日に大阪―向日町間が開通。その間の停留場は高槻だけでした。8月には茨木、山崎駅開業。そのあと、9月5日に京都大宮に仮駅ができたみたい。その後明治10年2月5日に京都駅ー神戸駅の開通式があったようです。

明治9年7月26日に大阪―向日町間が開通 なぜ遅れたのか?
大阪京都間は、大阪神戸の測量開始の約1年遅れ明治4年6月16日に測量開始しましたが、途中で資金難で約2年近く遅れ、明治6年12月に建設着工しました。
経過をもう少し整理しますと
測量着工 明治4年6月16日測量開始  
経路決定 明治5年2月10日 大阪経由に決定
工事着工 明治6年12月26日
高槻城石垣を内務省から譲渡 
 明治7年10月(石量834坪3号;2,758平方メートル)
 ⇒金額514円41銭5厘
 (仮に貨幣価値当時の1銭が今の300円とすると1,500万円)
橋梁工事 明治8年~明治9年8月で完成
開業 明治9年7月26日 神戸に2年遅れ
京都までの開業 明治10年2月15日 神戸に2年半遅れ

工費 約276万円(現在に換算して830億円!?1銭=300円として)

なぜ、神戸に比べて大阪ー京都間が遅れたのかですが、
周辺情報から推察するといくつかの要因があるようです。
明治4年9月 関西鉄道会社設立⇒京都府出資、京都敦賀間も視野に入れていたが、資金難で解散
明治6年12月政府資金で再スタート(これが遅れるきっかけに)
そのほか、レンガを浅田政三という京都の会社が請け負ったが途中で、材料不足に陥っています。

その加速をするための手段のひとつとして、高槻城の石垣が使われたんじゃないかと推測します。(これは私見)

◆高槻のレンガアーチはいつ造られたのか?
レンガアーチは順番に造られたようですが、高槻のレンガアーチは明治8年8月から明治9年4月にかけて竣工したようです。一番最後が梶原のねじりまんぽのレンガアーチ。いくつかのレンガアーチの下半分の土台の石は、高槻城から運ばれたと推測されています。高槻城から石垣が運ばれたのが明治7年10月。ということはアーチ状のトンネルはわずか1年弱でできたことになります。



◆高槻城の石垣石はどう運ばれたのか?
これはよくわかっていませんが、例えば本丸の石垣石は天守閣のあった南西のL型をした石垣石の部分、南側から船に乗せて運び出されたと推測されています。
このあとは当ブログの私見も含みますが、船が到着できた蔵屋敷のあった梅林あたりから陸送で運ばれたのではないでしょうか?高槻城石垣石は2700平米の面積が運び出された(当時は現在のような石のはかり方の単位がない)ので面積換算のようですが、本丸の天守閣の場所だけでなく、石垣石のあった14カ所から運び出され、津之江方面、梶原方面に運び出されたと思われます。ただ、どのように運ばれてどこで加工されたのかは不明です。現在のレンガアーチのや橋脚石積の面積合計が、高槻城の石垣石の面積にイメージあうのかは間にあっていませんので、追って概算の答え合わせをしたいと思います。

◆現在高槻のレンガアーチはいくつ残っているのか?
人の通れるレンガトンネル 14か所
水路用のレンガトンネル 14か所(見える場所は7カ所)
のようです。(下記参照)
そのほか、芥川、檜尾川橋梁台などの遺構も残っています。
大阪から向日町までも調べていますのでその投稿は別途記載します。

レンガアーチ用のレンガはどこで作ったの?
いったいどこで作られたのでしょうか?レンガトンネルのレンガを作った会社は、直轄で浅田政三の請負で納入されたようです。今は浅田製造(現京都市西京区川島付近)という会社が現在もあります。

関東では、明治維新に関東でレンガ製造を担当した会社があったようですが、このあたりでは京都の会社に頼んでいたようです。
レンガ

当時からコンクリートはあったのか?
あったようです、しかし多くはイギリスなどからの輸入で、レンガなどの積み上げ接続に主に使われた可能性あります。下記の大枠内訳の中にあると思われます。



◆線路の木材はどこから入手したのか?
これも京都から入手したようです。

以上 参考文献:日本国有鉄道100年史第1巻
阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴 小野田滋

さらにこれらの謎をその後調べていきました。
大阪高槻の汽車の最初の料金は?
高槻を通る汽車は一日何便あったの?
大阪高槻間は何分かかったの?
高槻の他の停留場は?
高槻の石垣石を運んだ経過は?
大阪駅はなぜ通過駅になったの?
 現在の新大阪のような案があった。。

いままでその中でいくつか投稿をしましたが、まだわからない謎も残っているので、今後も引き続き調べていくことにします。


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参考までに高槻にあるレンガトンネルの一覧
★は人の通れるレンガトンネル 14か所
●は水路用のレンガトンネル 14か所
  うち◇は外から見える

<高槻のJRのトンネルと通路一覧>
赤大路町 踏み切り
水路用① ◇ 投稿あり
水路用② ◇ 投稿あり
富田丘町 踏み切り
富田町 ガード下トンネル
JR富田駅 地下通路
水路用③
水路用④
如是川 橋梁の台は今残っていません
如瀬川東 ガード 車不可 後年掘削
★明治製菓南 東五百住間(西之口) ●第5弾
水路用⑤2連 ◇投稿あり
★明治製菓・サンスター間(下阪谷) ●第2弾
水路用⑥ ◇投稿あり
★川西町 後藤川(東海148号)  ●第4弾
水路用⑦ ◇投稿あり
★芥川 西  高城川        ●第1弾
芥川ガード下東
芥川ガード下西(人のみ)
水路用⑧
水路用⑨ ◇ 171号線西 中川 
171号線ガード
水路用⑩ 
JR高槻駅 西口ガード
JR高槻駅 地下通路1
JR高槻駅 地下通路1
弁天町  歩道高架橋
水路用⑪ 関大横
古曽部町 高架橋
水路用⑫ 見えそうで見えない
 京大農場北 安満東の町 ガード
水路用⑬ 見えそうで見えない
★高垣町 溝口
檜尾川西 踏み切り
★萩之庄 磯野           ●第3弾
梶原 南部バイパス用トンネル 先日開通
水路用⑭ ◇
★梶原1 奥田畑 梶原バス停南 ●ねじりまんぽ
     (高槻歴史遺産 東海140号)
★梶原2 下  (東海139号 )
★梶原2 池田  (東海 138号)
★梶原2 内田辻 (一乗寺の南)
★梶原2 甚兵衛川 梶原東バス停南 少し背が高い ●第10弾
★梶原2 山端 レンガトンネル (東海135号)   ●第7弾
★上牧山手町 神内2 神森 梶原台場跡近くの公園 ●第8弾 
★上牧 西国街道 籔ヶ花   ●第9弾