今年は鉄道開業154年。新橋-横浜開通の明治5年から4年で開業した、JR京都線は150年になります。

高槻駅は明治9年7月26日開業。では開業当時、大阪まで何分かかったのでしょうか?運賃は?少し調べてみました。最後にそれらの情報をもとに当時の景色を想像してみます。
高槻の謎としまして、今回は前回に続いて、高槻駅創業時のころの情報を調べてみます。明治9年7月26日に大阪―向日町間が開通しました。創業時は中間駅は高槻のみ。

これは開業後10年くらい経ったときのようす(ふるさとの写真集高槻より引用)
◆高槻から大阪まで何分かかったの?
現在は新快速で15分ですが、当時は何分かかったのでしょうか?時刻表がありました。
のぼり
大阪 高槻 向日町
8:10 8:54 9:34
11:10 11:54 12:34
14:10 14:54 15:34
17:10 17:34 18:34
最終が17時とは。。
くだり
向日町 高槻 大阪
9:41 10:24 11:05
12:41 13:24 14:05
15:41 16:24 17:05
18:41 19:24 20:05
の時刻表でした。ということは44分!でした。予想より早い感じです。なお、大阪神戸間の本数はこの倍の8本があったようです。開業後の翌月明治9年8月9日に山崎駅、吹田駅、茨木駅ができたようですね。
◆高槻から大阪の運賃は?
現在は260円ですが、当時はいくらだったのか?
上等 65銭
中等 39銭
下等 20銭
お金の価値がいまいちわかりません。(仮に1銭を現在の100円と仮定すると下等で2000円!)
郵便物定期運賃125円(月額)事業者用(貨物)でした。
◆高槻から大阪 1日何便あったの?
現在は大阪方面約280便あります(さらに貨物は往復役120便)
当時は、片道一日4本でした!
以上 参考文献 日本国有鉄道100年史第1巻
◆大阪から高槻の現在の景色を車窓を眺めてみる
開通した約150年前はおそらく車窓の景色ほとんどが田んぼだったと思われますが、吹田付近~高槻間の車窓の写真がいくつかありましたので参考に掲載します。
吹田付近から車窓を眺めてみます。いきなり貨物列車に遭遇。
貨物列車は、この吹田の操車場にある貨物の駅からコンテナが載せられて運ばれます。
もちろん、この吹田貨物駅を通過する貨物列車もあります。(先の貨物の機関車もそうです)
たくさんのコンテナが置かれていますね。
岸辺駅まできました。岸辺付近は最近とても発展してますね。
▶江戸時代 高槻藩あずかりだった吹田の岸辺 吉志部神社に行ってみた
ここの北側は旧高槻藩の飛び地でした。巨大マンションが現れます。販売中のよう。
ここには、コメントにもいただいていた、高槻駅にも置いてあることのある特殊車両が置かれていました。
▶JR高槻駅手前 一昨年導入された保線のマルチプルタイタンパという特殊車両を再び見かけた 3回目
摂津市のスローガンがあり、
茨木駅には、茨木市のPRがありました。(川端康成の生誕の地にも行きました↓)
高槻の歴史クイズ その26 すぐおとなり茨木市で幼少を過ごした川端康成 高槻に来たことがある?その縁は?
安威川を越えて、総持寺駅を通り、
▶【JR総持寺駅】 摂津富田のお隣の駅が17日に開業したみたい
▶茨木市新駅の名前はJR総持寺駅に決定!ついでに工事近くの140年前のレンガトンネルも見てきた!
摂津富田駅に来ました
以前投稿にも出した松下電子工業時代の跨線橋
▶いつもの高槻 その44 JR摂津富田駅 もうひとつのレトロな跨線橋
さらに、明治の大きな看板を通ります。ちょうどこの下にもレンガトンネルがあります。ここから下りの下ですが、高槻のレンガトンネルが連続します。
▶明治の巨大チョコレート看板のライトアップ レンガトンネルに続く小道からのようす
▶JRのレンガトンネルは水路用もあるみたい アジャリの森近くの水路用レンガトンネル
▶レンガトンネル第2弾の土台も高槻城の石垣石の痕跡が!?
▶トンネルシリーズ第五弾!トンネル全体まとめ
サンスターの前を通り、
工事がほぼ終わった芥川鉄橋にかかります。
▶高槻城の石垣が○○に転用されている?
▶芥川の堤防工事 JR鉄橋の北西側のり面の工事が完成 でも路肩はちょっと通行注意のよう 2022年6月
両岸の護岸が固められてちょっと殺風景な感じです。
国道171号線を通って高槻駅に戻りました。
▶水路用で最大のレンガトンネル ここも高槻城の石垣石が転用されてる? 国道171号線ガード西
なお、おまけの情報ですが、尼崎方面から来ると大阪駅の前の福島の手前で、ちょうどこの角度で今後高槻に移転する予定の関西将棋会館が見えます(写真になくすいません)
前回の内容はコチラ↓
▶高槻の謎 高槻駅の開業はいつ? レンガトンネルはいつ造られたの? レンガはどこで作ったの?
▶JR高槻駅から大阪方面の高槻内での最高速度はどのくらいなのか?
◆以下はさらに最初のJR高槻駅のあった場所を検討する内容です。
明治21年測量の高槻の地図を入手しました。現在と比べてみると。。あまりに違いすぎるので気になるポイントをシリーズ的に掲載したいと思います。

今回は最初のJRの高槻駅の場所はどこだったのか?です。

まず明治21年の地図を国土地理院から入手するのがひとつのネタになりそうなんですが、それはまた別途記載するとして、改めて驚いたのは明治時代、現在の高槻市の市域は田んぼばかりだったことです。それでも汽車が通っています。(明治9年汽車は通っています)

(地図の一部を引用)今回気になる高槻停車場はどこにあったのでしょうか?地図に詳しい人はすぐおわかりになるかもしれません。写真中央に停車場があります。前回明治天皇が富田踊りを天覧された場所。今の西口と、高槻駅の改札のある上宮天満宮の参道の間のようです。ということは?

おそらくこの写真のバスが停まっている少し先でしょうか?アルプラザができる前をご存じの方はここはJR沿いに細い一方通行の道がありました。とても広いスペースはありませんでした。しかしJRの線路は、できた時から車線を北側に増やしたようなので、北側にもある程度のスペースがあったのかもしれません。

勝手な推測ですが、地図からみるとこの辺に駅前があったのではないかと思います。
ということはここが駅前広場?だった場所かもしれませんね。

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