今年はあとわずかで、JR京都線、高槻駅開業から150年になります。
いままで、レンガアーチ、芥川鉄橋、高槻駅、貨物列車などいくつかに分けてシリーズで投稿してきました。シリーズで今までのまとめと、過去の投稿を少しリメイクして投稿いたします。
今回は芥川鉄橋です。

JRの芥川鉄橋は明治9年7月に竣工しました。開業7月26日までの直前に完成したようです。

明治20年代のようす
高槻城から多くの石垣石が使われ、橋脚の上段はレンガだったようです。

5本の橋脚の2本は後年取り換えられてるようですが、うち3本と西側の橋梁台は昔のようすがわかります。渇水時に普段見えない一番下側を確認しました。さらに過去には、設計図面との比較も記載しています。(下の方に続きますのでぜひご覧ください)
◆高槻の芥川のJR鉄橋ですが、今年2026年は官営鉄道高槻停車場開業、JR京都線高槻駅開業150年になります。(昨年2025年8月の投稿を更新)

8月の渇水のときに、河床まで降りられたので、明治9年に完成した芥川鉄橋を見てきました。西から2番目の橋脚の最下段が、見られるのは貴重なこと。

普段見えない、下側50cmくらいが見えました。

何か発見はあるのか

以外に小さな石積になってます。

面も平坦ではないです

奥行きは、結構ありそうです。当時からコンクリートはあったようです。

この記事の下段に図面を載せてますが、まだかなり下まで橋脚はあるようです。
通常なら重要文化財級ではないかなと思いますがいかがでしょうか。。
◆高槻の芥川のJR鉄橋ですが、今年2024年は京都線高槻駅開業148年ということで、昔高槻城の石垣の遺構を改めて確認してみたいと思います。今回はその2として、東側に残る開業当時の橋脚を見てみます。現在、5本の橋脚のうち、2本は当時の橋脚は失われていて、西側に2本、東側に1本が残ります。堤防ののり面工事がされてからこの東側を歩くのは久々でした。

現在は南側の橋脚には二車線分の線路がありますが、開業当時の計画は一車線分で、図面も一車線分の橋脚だったようです。でも今の橋脚を見てもあとでつなげた感じではありませんので、あとで二車線を考慮してつくられたのではないかと思われます。
以下は、土木学会で見つけた芥川橋梁の図面です。(以下三田藩九鬼氏所蔵より引用)

よくみると、下段にplanとあります。一車線分の図面のようです。右が東側、左が西側です。
これと、

一番右手(東側)の橋台のところは

堤防ぞいに傾斜がついていています(余談ではありますが、この位置から見る芥川鉄橋が一番きれいに感じます(実は橋脚が川の流れに向って反時計周りに少し斜めになっています)

実際はどのようなのかと見ますと

橋梁を支えているところ(橋台)は、

図面では、構造的には「橋脚と似た」コンクリートを土台とした柱状のものが埋められているのではないでしょうか??図では西側の橋台の断面構造は一番右側の図(線路が右にある)かもしれません。このような構造は、檜尾川の橋脚のない両側の橋台にも同様なことが言えるのかもしれません。
芥川の断面も描かれていますが、現在とよく似たかんじの図になっていますね。

東側の部分はこのようなかんじ。(右端が橋台)橋台は二車線が考慮された図面になっています
驚くのは、一番下の土台。コンクリートと記載されています。当時からコンクリートはあったようですが、これだけ大きな土台にするのは大変だったのではないでしょうか。いまでも、地下に埋まっていると思うとどうなってるのか気になります。

橋台の次に、隣にある

東側の橋脚を見てみます。

現在は、ぐるっと歩けるように土が堆積しています なので残念ながら川のある西側の面に落書きがなされています。。

高槻城の石垣の痕跡はあるでしょうか?以前来た時には、この落書きのある面は川に面していたので初めて近くで見ます。

ありました。中央左手、中央上、中央下の3つの石に矢穴が見られます。

ここにもあるようです

ここにも。しかし矢穴の端面が鋭利で新しい感じですね(風化してない感じ)

上流の三角になったところ

ここには特徴がありません

上流側の先端部から東側にまわってみます

こんなかんじ

特徴あるようすは見られません。

この面の左側に行ってみます

上のコンクリートの部分も気になるんですが

図面では、石垣の上の段は少し小さくなっていますが、現在は大きなコンクリートで囲われています。
上の段も多少かさ上げもされてる可能性もありますが、かさ上げするとなると、仮設で違う場所に線路を作らなければなりません。

芥川の線路付近はかなり高速で走りますので、開業当時の高さの可能性もあります。

でもわずかに坂になっているイメージもあります(以前JRの先頭車両で速度を見ましたが、新快速のぼりでは津之江付近で時速126㎞も出ているんで坂はほとんどないかもしれません。。)
▶新快速 高槻駅への上りの最高速度は??
▶JR高槻駅から大阪方面の高槻内での最高速度はどのくらいなのか?

現在は、この150年で河床の堆積によって、線路面と川の水面に近いというのが課題でもあるようです。(今年度摂津富田の高架と芥川鉄橋のかけ直しを合わせわざで大阪府に要望しているようです)
以上芥川鉄橋の東側の橋台、橋脚のようすを昔の図面と比較して考察してみました。
以下は高槻の芥川のJR鉄橋 高槻城の石垣が使われている橋脚を建設前の図面と見比べてみる その1
の内容です。
◆高槻の芥川のJR鉄橋ですが、橋脚の西側をもういちど観察してみます。今年2024年は7月に京都線高槻駅開業148年です。昔高槻城の石垣の遺構を改めて見てみたいと思います。

石垣が再利用されている橋脚3本が残ります 前回投稿には、明治初年の写真↓や、その前の投稿では建設前の橋脚の「図面」を発見しました↓

改めて橋脚の西側を見てみたいと思います 何か新しい気づきはあるでしょうか

この横長の石にも「矢穴」があります。

おそらくこの上、檜尾川に残っているようにレンガ積みだったのではないかと思われます。

しかし、建設前の図面にはそこまで書かれていないです。

4車線の2つ目の土台が少し高くなっています。最初の単線時代はここを通っていたのでしょうか?
建設前の図面(上)でも、北側の方を通る図があります。

この土台の石垣をよく見ると

中央下に明らかに矢穴のあとがあります。茨木駅の東側のレンガアーチでも見かけたこのように、あえて記録として残していたのではないかと思います

この上のコンクリートは後年作られたのではないかと思われます。

図は写真とは左右逆と思われます
線路複線が作られたときに、2本分が、本当にこの石垣の上の土台の乗っていたのか気になります。図面では1本分の図しかないのですが、中には2本(複線)が乗るのを意識した図面もあります

なお別情報なんですが、この前の3月議会でも市長からありましたが、現在高槻市から大阪府に鉄橋から富田駅方面の西側の高架化の要望を府に出されています。この付近のレンガアーチなど、歴史遺産的なものがあったり、現状で守られているものがあることなど、総合的に市民のみなさんで考えたいと思います。
◆以下は前回の投稿です。
高槻の芥川のJR鉄橋ですが、前回の橋脚の図面に続く、最古の写真と思われる写真を見つけました。

まず現在の芥川の鉄橋

5本の橋脚があり、建設当時の橋脚が3本残ります
この場所から見た古写真があるようです

これが、明治20年代前半と言われる芥川鉄橋(ふるさとの思い出写真集高槻 国書刊行館より引用)
さらに、この写真がすごいのは、夜に撮影されている(月光に光る芥川)ことです。後年に絶対残ることを意識されて撮影されたと思われます。
▶JR京都線 特殊貨物 両側にDD51型機関車、この貨物の運ぶものは?! 撮り鉄の方々と撮影してみる 2023年12月9日
▶JR京都線 芥川鉄橋手前で貨物列車が信号待ち 緩やかな傾斜を1200トンの荷物を引っ張り鉄橋をゆっくりと通過 2023年12月16日
◆以下は前回の芥川鉄橋の「図面発見」の内容です。
芥川の鉄橋ですが、明治9年6月建設当時の橋脚の図面を発見しました。
見つけたのは土木学会の三田藩九鬼家所蔵の資料です。少し前茨木の尻戸三レンガトンネルの投稿をしましたが、芥川鉄橋の図面もあるようです。その図面と現在の橋脚と見比べてみます。

まず、現地の再調査。芥川のJRの鉄橋は4車線のうち、南側の2車線が古くて橋脚は5本。そのうち3本が現在も残る石積です。

もう一度橋脚を観察してみます。

上半分はコンクリートですが、下半分は石積みです。このあとの図面で推測するんですが、上半分のコンクートの中に昔の土台があるのではないでしょうか?

では上流側から見ると、先端はどのようになっているのでしょうか?

先端は尖っています。

流木などが引っかからないようになっているようです。

西側1本目の東面

続いて、西側からみて2本目。

こちらも先端は流線形のよう

石積みの部分は、西側の橋梁の土台と高さはほぼ同じです。この先の西側の石積ですがわずかに右側が高いですね。これはこのあと出てくる図面にもあります。その意味では現在4車線ある線路の南側から2本目が、最初につくられた線路のようです。
土木学会で見つけた芥川橋梁の図面です。(以下三田藩九鬼氏所蔵より引用)

よくみると、下段にplanとあります。一車線分の図面のようです。

部分的に拡大してみます。プランとあります。図面を見ると、幅は 4ft(1.2m)尖ったところも入れて長さは12.6ft(3.84m)なんですが、

よく見ると5mはあります。途中で変更されたのでしょうか。

この図面では中央はレンガ作りの構想ですが、実際は石積みになっています。右側の図面の一段高いのは、現在と同じですが、西側の鈑桁を受ける場所は、左側(川の中の)橋脚より高い位置にあります。

でも鈑桁の土台の高さが少し違います。

ちょうど写真の場所、やはり一車線分の橋脚の構想だったようです。でも今の橋脚を見てもあとでつなげた感じではありませんので、2車線を考慮してつくられたみたいです。

東側の部分はこのようなかんじ。そのほか驚いたのは、一番下の土台。コンクリートと記載されています。当時からコンクリートはあったようですが、これだけ大きな土台にするのは大変だったのではないでしょうか。いまでも、地下に埋まっていると思うとどうなってるのか気になります。

数字のない、図面もありました。実際は2車線分がつくられたようですが、このときの設計と実際の工法はどのようなのだったのかとても気になります。また橋脚の上部分がまだ残っているのかなど、今後わかれば追記したいと思います。

なおおまけですが、この当時に通った機関車かもしれません。
◆以下は昨年2022年8月の投稿の内容です。
今回久々に芥川の鉄橋の橋脚を眺めてみました。

5つの橋脚と両側の構造物が作られたのは、明治9年6月です。大阪ー向日町間が開通する直前です。
▶高槻の謎 高槻駅創業時を調べてみる 大阪まで何分かかったの?一日何本?運賃は? 開業当時を想い車窓を眺めてみる
▶高槻の謎 高槻駅の開業はいつ? レンガトンネルはいつ造られたの? レンガはどこで作ったの?
橋梁は現在と同じ錬鉄鈑桁形式です。明治9年に単線ながらも鉄橋ができたのはすごいです。日本初の鉄道と言われる新橋ー横浜間は鉄橋はなく、ほとんどが木橋だったので、本格的に鉄橋やレンガ橋梁やトンネルのある鉄道が作られたのは、神戸ー大阪、大阪ー京都間が初めてのようです。おまけに今も多くが残っています。
現在、芥川の鉄橋の5つの橋脚のうち2つは、コンクリート製に取り替えられていますが、3本は石積が残っているようです。

現在の鉄橋(鈑桁)も古そうです。前回塗装しなおされたのが2007年のようです。このすぐ下は、

石積みの上はコンクリートになっています。おそらく後年取り替えられたか、積み上げられたようです。
▶高槻の謎 檜尾川の鉄橋 明治9年開業時日本最初の下路式鈑桁(かろしきばんげた)の鉄橋だったらしい それって何なん?

参考までに檜尾川の鉄橋を観察しますと、石積みの上に鉄橋を載せるところが同様にコンクリート(後年か)で作られ、そのさらに端はレンガ構造になっています。ひょっとすると、芥川の鉄橋も見えないところにレンガがあるかもしれません。しかし、観察するところでは檜尾川のレンガ部分に相当する場所もレンガはなさそうです。
参考 ブログを始めたころに記載した内容です。
▶高槻城の石垣が○○に転用されている?

では、西側の橋桁の下の架台部分の石積みを少し観察してみます。かなり盛り土があって、見えているところは少ないです。右と左で段差があるのはなぜでしょうか?単線時代は右側を走っていた?

右側の部分、よくみると写真中央。大きな矢穴があります。やはりここにも高槻城の石垣石が使われているようです。

いままで、レンガトンネルをよく取り上げていますが、このような橋脚でも古い構造が多く残っているようです。また、この西側にある女瀬川の鉄橋の下のレンガ構造は、失われているようです。芥川の鉄橋のレンガ部分は直接重量を受けるので、初期のようすは残っていないのかもしれません。川の中の橋脚も同様に上部はコンクリートになっているので、初期の構造ではないかもしれませんね。最近になって鉄道開通のころを調べてわかったことも多いので、現地を訪れながら投稿しますので、また続きをお楽しみにお願いします。
参考 いままでの投稿

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