JR京都線開業150年特集としまして、JR高槻駅の構内にもカウントダウンの表示があるようです。 2026年7月6日 
JR京都線表紙
官営鉄道高槻停車場は明治9年7月26日開業ですので、今日6日時点であと20日です。。
JR京都線山崎駅など
合わせて少し遅れて8月9日開業の山崎駅の思い出写真募集もなされているようですね。
JR高槻駅長杯の将棋大会もあるんですね。

いままで、JR京都線のレンガアーチや高槻駅など、たくさん関連投稿したので、ちょっと、特集記事をまとめて記載したいと思います。



実は梶原台場の石垣も建設に使われた?






以下は前回の投稿の内容です。
◆7月26日に官営鉄道高槻停車場開業150年になります。高槻市やJR西日本などにお聞きしたところ特別なセレモニーはないことでしたので、当ブログでご覧の皆さまとお祝いをしたいと思います。
今回はJR京都線開業150年特集としまして、明治9年7月26日に開業した高槻停車場の場所はどこだったのか!過去に、アルプラザ前だったのではないかとの投稿までをしました。
場所的にはおそらくそのイメージなんですが、もう少し補強する情報を探していました。


前回記載したときも結論はありませんでした。今回もそうなんですが、気になる場所があります。それはコチラ。現在の高槻駅は白梅町となっていますが、現在の地図に気になる番地があります。それは高槻市芥川一丁目1の場所です。アルプラザのある地域は芥川町一丁目2ですが、1はこの場所だけです。
さらに昔の駅のあったと推測した場所に近いです。
20260606高槻停車場 (1)
それはこの場所
20260510芥川町1丁目1 (2)
現在はJR西日本のNKビルになっています。
30年くらい前、アルプラザの開発される前、この場所の前は狭い西側への一方通行でしたね。なぜ駅前なのにこのような場所があるのか気になっていました。

現在初代の駅のようすや場所の情報はなくて、いまだ謎なんですが来月の大阪ー高槻ー向日町の官営鉄道開業150年までに少しでも調べたいと思います!

150年特集はレンガアーチの歴史の深堀も含めて続きますのでお楽しみに!!


以下は前回の駅のようすの投稿です。
◆JR京都線開業150年特集としまして、明治9年7月官営鉄道の高槻停車場開業時、初代駅舎の場所やホームの大きさや造りはどのようだったのでしょうか!?来年2026年7月で高槻駅開業150年になります。

そして二代目の駅舎の建設の歴史や周辺のようすなど、いくつか歩いたり聞いて調べて少しわかってきた内容を中心にまとめてみます。今後新たな情報により変わるかもしれません。今回は概要として判明してきたことを投稿します。
20250505JR高槻駅 (24)

◆調べてきてわかってきたこと
明治9年官営鉄道開業 
・当時の高槻駅のホーム 長さは160mもあったこと(高槻町誌)
 追記 一方で、建設当時は高槻停車場のホーム長さは230尺(69.7m)という情報もあります。
    160mは、向日町のホームの長さだったようです。(日本国有鉄道100年史第2巻より)
 当時は高さが40㎝あまりで、現在はホームの高さが2倍くらいになっていること
 北側のホームの南面の東側に20m程度古い面(と思われる)が残っていること
 断面が見える場所があり、「レンガ」色の材料が見えること
 ⇒当時のホームはレンガ造りだったのでは?(推定)
20250505JR高槻駅 (32)
ホームドアのために切り取られた断面をみると、途中で高さを追加されて、下段にレンガ色の断面が見えます。すなわち石積みではなかったのでは?という推測です。その根拠となるもうひとつのヒントがありまして、
高槻駅明治9年修正

同時期に作られた山崎駅の当時の駅舎(南側)に近い南側のホームの西側の南面に、約20m程度にレンガ積みのあとがみられます。よって高槻駅も同様な構造だったのではないかと推測します。

・明治29年官営鉄道複線化
・明治40年 初代駅舎にホームに行く陸橋が建設(場所不明)

では、次に2代目になった歴史を少し調べてみます。列車の通行が増えてきたこと、東西に2つの踏切があったが発着に差し支えが出てきたため、駅の東側に新しい駅舎を建設することに。
・大正11年10月 2代目の駅舎の建設開始
・大正13年5月 2代目の駅舎完成
・236mもの長さのホームが2つあったこと
・その駅舎は昭和54年6月まで使っていたこと
高槻駅大正13年
さらにその先変化点としては
・昭和54年、現在の駅舎建設時にホームを20m伸ばしたこと
・現在の歩行者地下通路は当時のホームへの通路だった(昭和7年時建設中)
・昭和54年 現在の南側の下りホームを6.4⇒8mの幅に変更したこと
・昭和54年に中央の下の地下通路を北側に13mのばしたこと(建設時期不明)
ということで、上記のようすを現在のホームの図に追加しました。

ただ、謎がありまして、昭和23年ころの航空写真ではホーム(屋根)がもっと右側(東側)にあったような写真が見られます。右側(東側に長さを延長していた?)時代があるかもしれません。

20250509高槻80 (2)
(高槻市の80年の表紙を引用)昭和50年代には東側ホームは現在の東側ようす(最初の写真)と同じです。ここはホームが東側に延長されていた時代があるのか、もう少し調べたいと思います。
20250505JR高槻駅 (8)


そのほかの関連情報
・明治32年の亀岡駅(亀岡城の石垣転用)はホームの一部(南東側)に石垣石らしき石積が40㎝程度みられること
・山崎駅は明治9年の建物を、離宮八幡宮の北側敷地を使って建設
 同駅は昭和2年に現在の位置に建設時、山崎駅の駅前は丘陵になっていて掘削して地面をさげたこと
 地下通路はそのときにつくられたこと

◆まだよくわからないこと
・高槻駅のホームには高槻城の石垣石が使われた痕跡が見られないが使われたのか
・初代の駅舎の詳細場所 アルプラザの2階にあるホールの前くらいか
・明治40年の陸橋がどこに作られたのか
・中央地下通路の作られた時期
・昭和20年ころホーム(屋根)はもっと右側(東側)にあったのか

20250505JR高槻駅 (1)

高槻城の石垣石が使われたのかについては、当ブログでは追跡している高槻城の石垣石の転用先の最大の謎なので引き続き調査していきたいと思います!


◆調査したこと・参考資料
・JR高槻駅のホームの観察
  ⇒過去に一度投稿しました
・昔の木造駅舎(昭和54年まで)を知る人にヒアリング
  ⇒歩行者用地下道が駅のホームへの通路だった
・昭和52年、54年の広報たかつきの情報
・高槻市35周年資料(昭和53年)
・ふるさとの思い出写真集(昭和55年)
・高槻市の80年(令和6年)
・日本鉄道史100年第2巻
・高槻市史
・明治21年国土地理院の地図 駅の場所の投稿
  ⇒初代駅舎の場所の考察しました
・JR京都線の開業当時のレンガアーチ・橋脚観察
  ⇒レンガアーチ特集など
・高槻城本丸発掘資料
  ⇒高槻城400年記念特集など
・明治9年高槻停車場のすぐあとにできた山崎駅のホームを観察
・山崎町歴史資料館ヒアリング
・明治32年建設の亀岡駅のホームを観察
・昭和23年から57年までの航空写真
・工部省記録 1~3巻
・高槻町全誌(しろあと歴史館より)

調査中
・鉄道総研の官営鉄道資料

以上、開業当時から、戦後までの全体像がまだまだ見えませんが、引き続き調査いたします!









以下は2022年9月の投稿です。
◆JR高槻駅のホームの土台は古いのか新しいのか、前から気になっていたことを確認したかったので、JR高槻駅の中を少し通りました。(小ネタ+空振りネタ)
P4031826 (3)
まず、入場券なんですが、あまりこれを特筆するつもりではありません。
20220819入場券 (3)
でも一応、JR高槻駅の入場券を初めて購入しました。。
20220819入場券 (2)
130円、有効期限は2時間以内なんですね。。。→今は150円です。。
20220819入場券 (5)
本来の目的は、高槻駅の構内のホームはどのくらい古いのかを確認したかったんですが、よく見ると比較的新しい構造でした。
20220819入場券 (6)
しかし、驚いたのはホームドアのために、比較的新しいホームの土台をくりぬいて、補強の鉄骨の構造が入っているようです。こちらの見えない方がお金がかかっているのではないでしょうか?


さらに今年の記事をつけます
◆今年2025年は、7月26日で高槻駅の開業149年になります。
20240630JR高槻駅
JR京都線も同様に149年。あともう少し、150年になるまで投稿を続けたいと思います。

なお、大阪から京都までの開通は半年遅れて、明治10年2月15日なので、向日町(現向日市)間の開業が7月26日です。

以下以前の投稿を引用しますが、これから特集としていままでの投稿や、新しい発見を見つけていきたいとも思います!



◆大阪ー向日町間 148年
測量着工 明治4年6月16日測量開始  
経路決定 明治5年2月10日 大阪経由に決定
工事着工 明治6年12月26日
高槻城石垣を内務省から譲渡 
 明治7年10月(石量834坪3号;2,758平方メートル)
 ⇒金額514円41銭5厘
 (仮に貨幣価値当時の1銭が今の300円とすると1,500万円)
橋梁工事 明治8年~明治9年8月で完成
開業 明治9年7月26日 神戸に2年遅れ
京都までの開業 明治10年2月15日 

工費 約276万円
(現在に換算して830億円!?1銭=300円として)

なぜ、神戸に比べて大阪ー京都間が遅れたのかですが、
周辺情報から推察するといくつかの要因があるようです。
明治4年9月 関西鉄道会社設立⇒京都府出資、京都敦賀間も視野に入れていたが、資金難で解散
明治6年12月政府資金で再スタート(これが遅れるきっかけに)
そのほか、レンガを浅田政三という京都の会社が請け負ったが途中で、材料不足に陥っています。
その加速をするための手段のひとつとして、高槻城の石垣が使われたんじゃないかと推測します。(これは私見)

また、鉄道150年を記念して、もう少し調べて連載したいと思います。

参考文献:
日本国有鉄道百年史 1,2巻
工部省記録 1~3巻



◆2023年の投稿の更新の投稿になります。


今年2024年10月14日は、鉄道開業152年になります。今から152年前、明治5年10月14日に鉄道ができたのは、新橋~横浜間。このときには新橋から南は海に堤防のような築堤をつくり石垣の上に線路を作りました。そのほか600mをこえる六郷川橋梁も作ったようですが、22の橋梁はすべて木製でした。鉄橋が初めてできたのは神戸・大阪間の鉄道建設のときのようですね。この開通式の時には明治天皇陛下のほか、明治の政治家の一行、三条実美、西郷隆盛や勝海舟、渋沢栄一も乗っていたようですね。明治3年の計画では、10か年で東京から大阪までを工事費用1102万両の見積りをしていたようです。実際にはその後、東京から大阪まで開通するのは明治22年になります。
高槻駅
大阪神戸間がその次に着工しているんですが、なんとそのころ同時に京都ー敦賀間の調査(明治4年3月9日)も指示されたようです。しかしその後すぐに大阪京都間の調査が始まりました(結果、大阪京都間が先にできるんですが。。)ちょっと驚きなのは、すでに明治4年と7年に関東までの鉄道建設ルートを調査されています(当時は中山道がよいとされていた:後に東海道沿いに変わるんですが)

JR京都線は、それに遅れて4年後、明治9年に7月に大阪ー向日町間が開通します。歴史は148年なんですが、その前に神戸明治7年5月に神戸ー大阪間が開通しています。
大阪―京都間はさらに遅れましたが、調べて行くとどうも遅れた理由があるようです。


◆新橋ー横浜間 152年
測量着工 明治3年3月17日測量開始
開業 明治5年10月14日
NHKなどでも紹介されてます(またまとめます)

◆大阪ー神戸間 150年
測量着工 明治3年7月30日
開業 明治7年5月11日
日本で初めての鉄橋建設(3か所)と隧道掘削(3か所)
 そのほか合計43の木橋を建設

◆大阪ー向日町間 148年
測量着工 明治4年6月16日測量開始  
経路決定 明治5年2月10日 大阪経由に決定
工事着工 明治6年12月26日
高槻城石垣を内務省から譲渡 
 明治7年10月(石量834坪3号;2,758平方メートル)
 ⇒金額514円41銭5厘
 (仮に貨幣価値当時の1銭が今の300円とすると1,500万円)
橋梁工事 明治8年~明治9年8月で完成
開業 明治9年7月26日 神戸に2年遅れ
京都までの開業 明治10年2月15日 

工費 約276万円
(現在に換算して830億円!?1銭=300円として)

なぜ、神戸に比べて大阪ー京都間が遅れたのかですが、
周辺情報から推察するといくつかの要因があるようです。
明治4年9月 関西鉄道会社設立⇒京都府出資、京都敦賀間も視野に入れていたが、資金難で解散
明治6年12月政府資金で再スタート(これが遅れるきっかけに)
そのほか、レンガを浅田政三という京都の会社が請け負ったが途中で、材料不足に陥っています。
その加速をするための手段のひとつとして、高槻城の石垣が使われたんじゃないかと推測します。(これは私見)

また、鉄道150年を記念して、もう少し調べて連載したいと思います。

参考文献:
日本国有鉄道百年史 1,2巻
工部省記録 1~3巻

今年は鉄道開業150年なので、春先からJR京都線にまつわるレンガ構造物などの投稿をいくつかしてきました。また続編を追記したいと思います。また特集ページでまとめます。