高垣町のJRの線路の下を通行することのできる、溝口レンガアーチ(官営鉄道明治9年4月竣工)ですが、
20260503レンガアーチ証明
レンガアーチのほうにも照明が取り付けられました。
下記(昨年2025年5月)にありますように、少し暗いので安全になればと思います。先月に建設150年となりました。今年2026年7月26日に官営鉄道高槻停車場開業150年です。現時点、他メディアさんでアピールされていないので、これから7月にかけて、一覧表を作ったり、まとめ記事を更新したいと思いと思います!


以下は昨年の5月のようすです。
◆高垣町のJRの線路の下を通行することのできる、溝口レンガアーチ(明治9年4月竣工)ですが、ここにも高槻城の石垣石があるのでしょうか?
20250503高垣町 (20)
明治9年7月の官営鉄道開業のレンガアーチです。ここは初めて投稿します。
あと、紹介できていない場所はあと一つになりました。(梶原の下レンガアーチ)
20250503高垣町 (19)
高槻には人が通行できる、「14」ものレンガアーチがあります。

トンネル第五弾(全体まとめ付)

いずれも明治9年の官営鉄道開業時のもの。
20250503高垣町 (1)
線路の4車線(複々線)の南側の2車線分が開業当時のものです。ここは通行量が多いため、
20250503高垣町 (23)
車の角が当たってかなり傷んでいます。
20250503高垣町 (33)
鉄板でぶつからないように保護されています。
20250503高垣町 (27)
見えている2段分の石積みが見えます。
20250503高垣町 (15)
花崗岩が見られますが、ここにも赤いものと緑っぽいものがありますね。
20250503高垣町 (30)
よーく見ると、この場所。上の石に矢穴が見られます。これは大きな岩を割った時のもの。
20250503高垣町 (32)
さらには、正面下段、右手2段目の石にも矢穴が見られます。
20250503高垣町 (17)
外側ののり面の下の花崗岩。これは矢穴は見られません。
この東側、檜尾川鉄橋、さらにその東の磯野レンガアーチにも矢穴のある石が見られましたので、ここにも使われていると思われます。今後、いままで投稿したレンガアーチを再チェックしてみたいと思います!!






以下は前回の投稿です。
◆川西町のJR京都線にある後藤川レンガアーチ、ここにも高槻城の石垣石があるのか調べてみます。普段は川西中学校や、北部の高等学校に行く生徒さん、子供さんを川西のこども園に預けて出勤する方で行きかう重要な道。
20250404後藤川 (12)
このレンガアーチは明治9年官営鉄道鉄道開業時に建設したもので、
20250404後藤川 (11)
高槻では一番径間(4.57m)が広くて低いレンガアーチのようです。
20250404後藤川 (1)
竣工は明治8年11月。この西側にある明治の南側にある2つのレンガアーチの約2か月後の完成です。今回は石垣の部分をじっくりと見てみてみたいと思います。明治の南側にある2つのレンガアーチ(下阪谷:明治東側 2.44m 明治8年9月)(西ノ口:明治西側 1.83m 明治8年8月)は高槻城の石垣の矢穴のある石があるので、おそらく高槻城の石垣が使われているんで、おそらくここでも発見されるかもしれません。
20250404後藤川 (3)
南西側から順番に見ていきます
20250404後藤川 (4)
石が白くなってわかりにくい場所もありますが
20250404後藤川 (5)
その右手に行くと、矢穴がないものの、赤い石と、そうでない大きな石が現れます。これはとても怪しいんですが断定できません
20250404後藤川 (6)
ここも比較的大きな石が使われています
20250404後藤川 (7)
今後は北東から見ます 正面左手の石などは矢穴があるように見えますが、確実ではありません。
20250404後藤川 (8)
後藤川の暗渠になっている上の部分 ここの中央矢穴ではないでしょうか。砂岩っぽい石も見られます
20250404後藤川 (9)
2車線分の真ん中です この左側の2つは色が石垣石っぽいですね。でも矢穴っぽい部分がありません。
20250404後藤川 (10)
コチラは石が白くなってちょっとよくわかりません 中央左は矢穴のように見えます
20250404後藤川 (14)
これは先に記載した部分のひとつ。こちらの正面の石も矢穴っぽいといえばそうかもしれません。
20250404後藤川 (15)
アーチのためのレンガが4列積まれています。当時建設中にレンガが不足が発生したのは確かのようですが、そのため石垣石を積極的に使ったのかは不明です。
後藤川のレンガアーチ、明確な石垣石が使われてる痕跡はなさそうなんですが、花崗岩の赤い石(小豆島)、そうでない緑っぽい石(京都加茂)で代表されるんではないかと推測します。もう少し今後それぞれを他のレンガアーチの石と見比べてみたいと思います。



一昨年2023年9月にも観察はしたんですが、高槻城の石垣という観点で見ていませんでした。






以下は前回の投稿です。
◆今回は、レンガアーチ第3弾で紹介した、萩之庄のレンガアーチです。高槻の檜尾川の東側の礒野レンガアーチですが、ここにも高槻城の石垣石があるのか調べてみます。
20250323磯野レンガ (5)
今年2025年7月で、明治9年官営鉄道鉄道開業から149年です。
この礒野レンガアーチの竣工は明治9年4月。
20250323磯野レンガ (48)
立派な構造です。軽自動車も通れます。
20250323磯野レンガ (49)
中央で補強されていますが、内部のレンガも美しい。
20250323磯野レンガ (1)
さて、中央下の石積を見ますと、花崗岩、砂岩が組み合わされているようですが
この部分に矢穴のあとがある石があります。左側の石も高槻城の石垣っぽいですねえ。
20250323磯野レンガ (46)
さらに、レンガアーチを出たのりめんの石垣にも矢穴のあとがあります。
高槻城の石垣は、大坂城築城と同時期に小豆島や、木津の加茂の方から運ばれたと言われていますが、まさにこのような黄色い石は小豆島の石と思われます。
いままで、高槻にあるレンガアーチ、芥川鉄橋、さらにはJR京都線に残るレンガ石積遺構を調べてきましたが、改めてどの範囲にあるのか調べなおしたいと思います!




以下は前回の投稿です。
◆高槻の檜尾川のJR鉄橋 ここも高槻城の石垣石が使われてるのでしょうか?明治9年、開業時日本初の下路式鈑桁(かろしきばんげた)の鉄橋です。この鉄橋は、大阪から向町までの開業時(明治9年7月)に、芥川鉄橋と同じく開業直前に竣工した鉄橋。
20250223檜尾川鉄橋 (1)
この橋桁付近は建設当初の石積みとレンガ構造が残っているようです。
前回投稿した下段の写真(南側)では、高槻城の石垣が使われている矢穴あとは見られないのですが、
20250223檜尾川鉄橋 (2)a
今回北側から、南側2車線分の石積みを見ますと、写真左側の上の石と、一番下の石。矢穴のあとが残っています。いままでレンガアーチなどを投稿していた中で、あまりこの高槻城の石垣石の転用先を詳しく調べていなかったんですが、前回茨木駅の近くのレンガアーチにもあるのではないかと投稿しましたが、檜尾川まで使われていると、かなり遠い場所まで使われているようですね。
この先、東側の萩の庄、梶原のレンガアーチは石積みが少なく、矢穴の後もないので、ひょっとするとここまでの間に使われていたのではないでしょうか?ただし、その西側の高垣町の溝口レンガアーチ、東側の萩の庄の磯野レンガアーチを詳しく調べていないのでこちらも調べます。明治7年10月にから工部省から官営鉄道会社に売却された高槻城の石垣石。引き続きどのあたりまで使われて、どのくらい使ったのか推定していきたいと思います。(JR京都線150年まであと1年半、高槻城公園北エリア整備もあと2年くらいなので)

トンネル第五弾(全体まとめ付)






以下は前回の投稿内容です。
◆高槻の謎として大阪から京都までの鉄道開業時の謎をいくつか投稿します。今回は、檜尾川の鉄橋についてです。神戸線の着手(明治3年)のあとに資金難から、明治6年に大阪京都(向日町)の建設が着手されました。開通は明治9年。京都までは明治10年開通。今年鉄道開業150年(京都線は146年)になりますが、どうも日本最初の下路式鈑桁(かろしきばんげた)の鉄橋だったらしいです。プレートガーダーという名前だったみたい。それって何でしょうか?実際に檜尾川の鉄橋付近に行って観察してみました。
20220702檜尾川鉄橋 (11)
現在の鉄橋は、一般的な上路式鈑桁(じょうろしきばんげた)というみたい。開業時、芥川の橋もこのような線路の下に構造物で支える構造だったようです。それより大きい川は、今でもあるトラス形式(車両の横に補強の鉄骨がある形式)の鉄橋だったようです。
20220702檜尾川鉄橋 (1)
しかしながら、開業時は檜尾川の鉄橋だけがなぜ、下路式鈑桁(かろしきばんげた)だったのでしょうか。適度な長さだったからではと勝手に推測します。写真ではサギくんも鉄橋を眺めています。

ところで下路式鈑桁(かろしきばんげた)って、どのような構造だったのでしょうか?
阪急京都線2
調べると、国道171号線の阪急京都線の鉄橋がそのような構造のよう。電車の重さを両側の鉄骨で支えます。線路の下の構造で支えるのではないようです。

20220702檜尾川鉄橋 (2)
サギくん、飛び立ちました。今の鉄橋の方に向かってみます。
20220702檜尾川鉄橋 (3)
線路付近に来ました。現在は複々線になっていますが、創業当時は単線です。
20220702檜尾川鉄橋 (5)
この左側の線路が昔の線路(後に北側に線路が拡張)のよう。
20220702檜尾川鉄橋 (6)
南側の鉄橋の土台部分ですが、開業当時のままの石積みとレンガ積みが見えます。
20220702檜尾川鉄橋 (7)
レンガ積みの部分までが当時の高さなので、下路式鈑桁(かろしきばんげた)だと、レンガ積みの部分近くに鉄橋を載せていたのでしょうか?
20220702檜尾川鉄橋 (8)
河床まで降りたらわかりそうですが、ちょっと河床は降りられません。(もし降りられたらもう少し観察します)
20220702檜尾川鉄橋 (9)
次に東側を観察します。こちらも今の線路の高さまでレンガ積みがあったようです。
20220702檜尾川鉄橋 (10)
さらにそのレンガをおさえる石までありました。おそらく当時から高さはこのままのようです。

ということで高槻の謎としまして、しばらく大阪京都の間の開業時の情報を投稿したいと思います。