江戸時代の高槻藩と現在の高槻市の「領地」を比較してみます(北西部編) 
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北西部を調べますと
高槻藩領北西部
高槻藩領は、今の箕面市までの地域が領地で、現在の箕面から茨木にかけての彩都や、高山といわれる高山右近が生まれた場所、キリシタンの場所もかつては高槻藩領でした。
高槻藩領北西部2
わかりにくいですが、旧藩の所領と現在の地図を重ねてみます。
さらに旧藩時代にもあったはずの現在の彩都の七色公園の高台に行ってみます。
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どのような場所でしょうか?高槻からは安威川ダムから西に造成されている道を通るとそう遠くありません。
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壮大な見晴らしがありました!
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遠くは生駒
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手前は彩都西の住宅地です
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あべのハルカスも見え
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大阪のビル群も
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西側はどこまで見えるでしょうか
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淡路島は見えますが、左にコスモタワーも見えましたが、大屋根リングは見えず。この正面のがそうでしょうか。(違うかも)
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眼下にはとてもきれいな景色が見えました
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旧高槻藩領は
高槻藩領北西部3
この薄紫の場所です。
この箕面から茨木北部の広い場所を訪れて旧藩時代の名残や景色を引き続き調べてみたいと思います。



以下は前回の高槻藩時代の領地の投稿です。
◆実は1年ぶりの投稿になります。江戸時代西暦1695年ころの高槻藩の「領地」と、現在2020年の325年後の高槻市の「管轄の地域」を較べてみました。まず安心してほしいのは高槻は実は江戸時代の藩領と現在の市域が近い(似ている)ということ。大阪の他の市に比べてもめずらしいようです。でもよく見るとかなり違うとこともあります。これからその違いを投稿したいと思います!
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今回は北部編です。参考資料は大阪府史第5巻の付図を引用させていただきます。薄い青色2番が高槻藩領(永井直達)です。
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今回は北部を中心に見てみます。
・安威川ダムの近く茨木市の大門寺(前回ダムの投稿)・生保(しょうぼ)・大岩・車作(くるまづくり)は高槻藩だった!さらに西側の茨木の山の方から箕面北部まで高槻藩だったようです。これは高山右近の統治からの影響といわれて隠れキリシタンの場所でも有名ですが、さらに北側の亀岡にも何か所か高槻藩領(3350石)があったようです。その他地区が高槻藩だったかどうかだけ記載しますと
・萩谷、霊仙寺は高槻藩でなかった
・服部も高槻藩でなかった
・成合も高槻藩でなかった
・島本町の北、尺代、大沢は高槻藩だった
・原と樫田も高槻藩でなかった
・島本町の駅前桜井は高槻藩だった
・奈佐原も高槻藩でなかった
・郡家も高槻藩でなかった
・上牧は高槻藩でなかった
不思議なかんじですね。ではどこの管轄だったのかは追って追記します。
当時は地域によっては高槻からかなり遠くの藩の管轄のところもあって年貢(税金)は遠くの藩へ送っていたところもあるようです。

◆前回の投稿
江戸時代 高槻藩あずかりだった吹田の岸辺 吉志部神社に行ってみた
江戸時代の高槻藩と現在の高槻市の「領地」を比較してみた! その1 南部編

他にもあった旧高槻藩の管轄していた多田銀銅山