【梶原台場跡】 JR京都線のすぐ横、高槻藩時代、幕末の梶原台場あとの発掘調査のようすです 2026年1月21日時点 前回の投稿で発掘調査報告の予定などを記載しましたが訂正させていただきます。
現在、高槻市立埋蔵文化財調査センターのほうで調査をされています。

現在、発掘調査されているのはこの赤い点の場所。かなり狭い神内レンガアーチの横の公園のすぐ西側のようです。(この図は土木学会資料、三田藩九鬼家の資料より引用)

前回と比較しますと

石垣の見つかったと思われる場所が少しみえているのと、その台場の場所が見えています

このへこみなどは今後説明があると思われますが

全体としてはこのよう。最初の図にあるお掘りがあった個所の石垣がブルーシートで隠されています。

今後説明のあると思われる台場の石垣

JR沿いのほうはすでに調査されていて、さらにその西側、堀があったとされる場所の調査もされているようです。以下訂正です。今後発掘調査発表については現在未定で報道機関への発表があるようです。
◆【梶原台場跡】 JR京都線の線路の横の梶原台場あとの発掘調査がなされているようです!!
ここは、江戸時代、高槻藩永井家の時代、西国街道の西国からの関所、さらに淀川をさかのぼる敵船を想定して作られた要塞です。

この区画の投稿は付近の高齢者施設の建設時などに投稿しました。

この最近、JR線路近くの梶原台場の発掘調査がなされているようです。

さらに線路沿いも見直しをされるよう。

現場を少し観察しましと

当時の石垣石が発掘された!?のでしょうか。

この部分を昔の図面と比較してみますと

右側の官営鉄道の建設予定の場所と合致しています。(三田藩九鬼家資料より引用)
今後、この場所での発掘のようすを観察したいと思います!!(高槻市立埋蔵文化財調査センターの皆さままことに申し訳ありません いくつか訂正させていただきました)
以下は前回の梶原台場の投稿です。
◆梶原台場跡の投稿です。今年はJR京都線開業147年になります。旧三田藩の九鬼家資料から、鉄道建設前の計画図を見つけました。その中になんと、計画している線路と、当時の梶原台場の位置関係がわかる貴重な資料を発見しました!! (以下旧三田藩の九鬼家資料より引用させていただきます)
注)この記事は昨年8月に投稿したものですが、最下段に少し追記し2024年1月に再投稿とさせていただきます。

見つけたのは、土木学会の資料です。三田藩の九鬼家の方が明治初年に工部省に勤務されます。
そこで、当時の資料の下書きを残している資料があります。その中に、レンガアーチの位置を計画する図があり、
(拡大できます。レンガアーチの計画が赤線になっています)
さらにその中によく見ると、梶原のあたりに、なんと梶原台場の姿がありました。

その図面をつなげてみます。左側に一乗寺、右側が上牧(神内)のほうです。
当時、幕末に梶原台場ができた際に、西国街道を梶原台場の中を通るように引き込みます。明らかに西方面からの侵入に対応している砦です。またレンガトンネルの位置も記載されているのでかなり正確です。現在はこの梶原台場の砦はないのですが、

現在の航空写真で見ると、現在も当時の区画が残っているようです。この梶原台場跡を歩いた記事を参考にこの下段に記載します。

参考に昭和23年ころの航空写真(国土地理院より引用)と比較してみます。中央下にある大きな池は現在、北側はコーナンの敷地になっています。南側は今も残っていますね。梶原台場付近は、当時はすでに田んぼになってしまっていて、このころのほうが位置関係がわかりにくいかもしれませんね。(レンガトンネルの位置を固定してみるのがよいかもしれません)この3つの図を比較して、幕末、明治の鉄道計画当時(おそらく明治3年から5年と思う)を想像したいと思います。
この図の発見により、下記にある以前に歩いたルートと一部違う場所も出ていますが、ご容赦をお願いします。
◆以下は梶原台場跡を一周歩いた投稿です。
梶原台場跡を少し歩いてみました。街かど歴史遺産になっていますね
まず全体像を作ってみました、、

上牧のコーナンの裏側からJRの線路沿いまでの地域にあったみたい
でも全体像がよくわかりません。現地で撮影した場所を紹介したいと思います
まず南側、上牧のコーナンは昔「内の池」という池がのびていて新幹線沿いに台場の南端があったみたいです。コーナンの建物の形が台場の形に沿っている感じですね
台場の南は池が淀川近くまでのびていたので京都にいく「壁」を作ったみたい

コーナンからみた南端部分はこんな感じ

場所は赤矢印から見たものです
次からも写真のつぎに場所を
記載します

南端の新幹線沿い水路側はこんな感じ

撮影場所はこの方向
北をみると新幹線のガードがあります

この角は当時の地図では
台場の南側中央

同じところ南端のさらに南部に
少し伸びている部分です
東側
現在は住宅地になっています。境目はどうもレンガトンネルの道沿いみたいです

突き当りが新幹線 右側が台場跡のほう

見ているのはこの方向

新幹線のところから北西を振り返ると
こんな感じ

もう少し南まで台場はあったみたい
ですね
西側
田んぼと住宅の境目が台場の間の
ような感じです

見ている方向は西向き

北西側
ここは上の写真の住宅地ですが台場の形で道があるようです、、
北側
JRの線路沿いが北側端になるようです

線路の向こうに西国街道がありますが当時はJRがなくて、西国街道がここまで引き込まれていたみたいですね。

見ている方向はこれ
台場の形は少し複雑な形で一部は、五稜郭のような形だったようですね
枚方の樟葉砲台跡は公園で整備されていますがここと、この近くの島本町の高浜砲台跡ももう少しメジャーになったらなあと思いますね。
台場跡の中央は西国街道の神内のレンガトンネルと、171号線のコーナン東側間の道です、、ガードをくくると保育園(現在は移転)があり、つぎにおそらく多くの方が立ち寄られたことがあると思う、たこ焼き屋さんがありますね。めっちゃ安くておいしいです、、

この店のおばあさんにお聞きすると、今年明治150年だけど50年前からこの付近の風景は大きく変わってなく昔から一段下がったたんぼだったよう。

見ている方向はこっち
台場を壊したあと、その後の100年も変わってないのでは?
詳しい歴史は別途調べて投稿したいと思います
最近の出来事しては島本町の駅ができて学生さんが通らなくなったのよ、、というお話が印象的でした、、、
追記:2024年1月

現在の西国街道です。JR京都線ののり面の柵が新しくなりました。当時はJRの線が複々線でなかったので、大昔は位置関係はもう少し南側を通っていたかもしれません。その後、明治9年に線路が敷かれるんですが、そのときには、梶原台場はまだ残っていて、写真手前のカーブから直線で今の線路の反対側に向っていたと思われます。

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