現存する高槻城の絵図は、どこから描かれたのか考察してみます。

現在の高槻市はこのように街かどは大きく変わっています。
高槻城があった昔はどのような街かどだったのでしょうか。少しわかってきたので街かどの投稿はこれからしていきたいと思いますが、

現在残る絵図は、野見神社摂社の永井神社にある絵馬のほか

こちらは個人蔵の絵図(いずれもしろあと歴史館より引用)
いずれも北東からの鳥観図です。

城内公民館にある絵図です
このほかにも3つあり、永井公帰城絵図のほかがあるようです。いずれも北東から描かれたもの。
では、これらはどこから描かれたのでしょうか?考察してみます。

この方角からでしょうか?(しろあと歴史館の城下の模型より引用)

同じくこの方角からでしょうか?(Google mapから引用)高槻小学校の上空から。
おそらく、現在の高槻小学校付近から見たようすに見えます。
ということは???
▶本町 高槻藩時代の火見櫓のあった町会所につづく水路に残る古い石垣がある件

本町にあった火見櫓からではないかと推測します。(ふるさとの思い出写真集 高槻 国書刊行会 より引用)これは明治6年に、高槻小学校創立時に転用された高槻藩の会所、当時は火見櫓がありました。

場所は、現在のしろあと歴史館の東、第一中学校の校舎の付近(中央下の会所とある場所)のようです。
これはあくまでの推測なんですが、この角度から高い場所から見える唯一の場所はここだったのではないかと推測いたします。現在の高槻市公園墓地とか遠い場所からも考えられますが、詳細が見える場所は火見櫓だったのではないかと思われます。
▶高槻城公園 北エリア大手地区に高槻藩時代の町会所と火見櫓の工事が始まった 2025年11月
▶高槻の江戸時代 火消し組頭 明治に草相撲横綱「瀧の音岩五郎」なるお方がいたらしい 今後再建される火見櫓と合わせて考察したい
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