明治9年7月26日の官営鉄道開業150年特集としまして、明治(明治製菓)の南西側の西之口レンガアーチ (西之口橋梁)、南東側の下阪谷レンガアーチ(下阪谷橋梁)にも高槻城の石垣石と思われる石があるのでしょうか?調べてみます。

西之口橋梁(レンガアーチ)明治8年8月竣工

場所は明治の大きなチョコレートの看板の南側です かなり開通の前の初期段階で最初のころに造られたものですが、高槻城の石垣石がなくなった明治7年9月以降からは少し時間があります。

ここは女瀬川とその横にある通路から東側に入ったところ。

ここも、暗渠となっていて、水路があります。レンガアーチが残るのは南側の2車線分

こちらはめずらしく半分くらいの高さまで石積構造になっています。径間1.83m。
完成は、明治8年8月のようです。大阪駅から向日町まで一連のレンガアーチや河川の橋脚のレンガ遺構の建設時期をみますと、明治9年7月の開通までの中では比較的早い時期に完成したようです。完成時期を見ると推測ですが、この横女瀬川と前後を起点に梶原の方に順番に作っていった印象。それでも、各地のレンガアーチ、河川の橋梁は、このあとおよそ1年以内に完成しています。
石積の部分を少し見てみます。まず東側。上の写真の左側を北(明治)側から観察してみます。

比較的大きい整列したかんじ 地下の見えていない部分もおそらく同じ段数くらいはあるはず

気になるのは、右上

矢穴がありますね 石の大きさ自体は小さく三角形のかんじ

この石の表面のざらざら感が気になります、

高槻城の石垣石の特徴は見られるものがあるのか ここはよくわかりません

ここもよくわかりませんが、石を割った矢穴がみられます

この上の石、中央の石もあやしいですねえ

この表面のざらざら感は?

いずれの石も大きいです。

南側の入り口まで来ました。

南東ののり面部分にきました
次に反対側 南西側から北の方に見てみます

ここには特徴ある石が見られません

下の石のは矢穴?

いずれも、大きな石が使われているよう

この中央右手。矢穴があります 石も大きいです。大きい石があるから、中央付近まで積んだのでしょうか。高槻でも一番の高さまで石積になっている印象です

さらにこれらも大きいです

下にも割ったときのあとが

ありました。右手の矢穴のある大きな石

さらに北側を見ます

この正面もあやしいですね。右手にも大きなのがありますね。でも石積の石用に割ったときのものかもしれません。

最後のほうにきました

当時の北側の端まできました。ここにも高槻城の石垣石らしい石を見かけました。大きな石が使われている印象ですので、推測ですがここから東側方面に向けて高槻城の石垣石が使われたのではないでしょうか?この西側の女瀬川橋梁は、昔の遺構がまったく残っていません。さらにその西にもレンガ遺構(段の前)があるようなんですが、水路用になっていてちょっと外から見える場所にはないようです。
下阪谷レンガアーチ(橋梁)明治8年9月竣工
◆明治9年官営鉄道開業150年特集としまして、今回はサンスター・明治の間のレンガアーチ (下阪谷橋梁)です。ここにも高槻城の石垣石があるのか調べてみます!

以前にはこのレンガアーチの気づきを少しだけ書きました。今回詳細を見てみます
竣工は明治8年9月なので、西之口の1か月後になります。
現在はない、如是川の橋梁の土台が明治8年7月です。西側から順番に造っていったのかもしれませんね。
▶レンガトンネル第2弾の土台も高槻城の石垣石の痕跡が!?

高さは少し低いですが、バイクや自転車も通り、ここを通られるかたは多いです。
ブログを始めたころに記載しました。
▶トンネル第二弾(おまけつき)
今回改めて観察しまして、感想を書きたいと思います。このレンガアーチは明治8年9月竣工。

まず入り口から、高槻城の石垣と思われる矢穴がある石があります。あとでまとめますが、あえてこのレンガアーチに、高槻城の石垣を使ったことを「わかるように」積んだのではないかと勝手に推測します。

右手のこの石や

同じく右手のこの石

左手ののり面のこの石の下側、さらには

こののり面の左下の石も矢穴があります。
では、中の石積みはどうなっているでしょうか。

中を見てみますと、中央東側、この暗渠になっていますがわずかに見える部分

この正面の石(西側)

この2つの矢穴のある石(東側奥)

この左手の下の段の石も(西側)

明らかに矢穴のあとがあります(その拡大)

この左上の石、右下の縦に傷のある石

この石も怪しいですね。

この石も矢穴があります。
このように、この明治とサンスターの間の下坂谷橋梁は、前々回紹介したとなりの後藤川のレンガアーチに比べ、とても高槻城の石垣石と思われる特徴のある石が使われているようです!!JR京都線に残るレンガアーチこそ重要文化財になってもよいのではないかと思いますが皆さまいかがでしょうか。
その前に下記の芥川近くのレンガアーチを観察したときに気づきました。
▶レンガトンネル第1弾の土台の石は高槻城の石垣石を割った跡がある件
以下は前回の溝口橋梁、後藤川、磯野橋梁、檜尾川鉄橋の内容です。
◆高垣町のJRの線路の下を通行することのできる、溝口レンガアーチ(明治9年4月竣工)ですが、ここにも高槻城の石垣石があるのでしょうか?

明治9年7月の官営鉄道開業のレンガアーチです。ここは初めて投稿します。
あと、紹介できていない場所はあと一つになりました。(梶原の下レンガアーチ)

高槻には人が通行できる、「14」ものレンガアーチがあります。
▶トンネル第五弾(全体まとめ付)
いずれも明治9年の官営鉄道開業時のもの。

線路の4車線(複々線)の南側の2車線分が開業当時のものです。ここは通行量が多いため、

車の角が当たってかなり傷んでいます。

鉄板でぶつからないように保護されています。

見えている2段分の石積みが見えます。

花崗岩が見られますが、ここにも赤いものと緑っぽいものがありますね。

よーく見ると、この場所。上の石に矢穴が見られます。これは大きな岩を割った時のもの。

さらには、正面下段、右手2段目の石にも矢穴が見られます。

外側ののり面の下の花崗岩。これは矢穴は見られません。
この東側、檜尾川鉄橋、さらにその東の磯野レンガアーチにも矢穴のある石が見られましたので、ここにも使われていると思われます。今後、いままで投稿したレンガアーチを再チェックしてみたいと思います!!
▶高槻の芥川のJR鉄橋 高槻城の石垣が使われている橋脚を建設前の図面と見比べてみる その2 2024年8月
▶レンガトンネルシリーズ特設ページ
以下は前回の投稿です。
◆川西町のJR京都線にある後藤川レンガアーチ、ここにも高槻城の石垣石があるのか調べてみます。普段は川西中学校や、北部の高等学校に行く生徒さん、子供さんを川西のこども園に預けて出勤する方で行きかう重要な道。

このレンガアーチは明治9年官営鉄道鉄道開業時に建設したもので、

高槻では一番径間(4.57m)が広くて低いレンガアーチのようです。

竣工は明治8年11月。この西側にある明治の南側にある2つのレンガアーチの約2か月後の完成です。今回は石垣の部分をじっくりと見てみてみたいと思います。明治の南側にある2つのレンガアーチ(下阪谷:明治東側 2.44m 明治8年9月)(西ノ口:明治西側 1.83m 明治8年8月)は高槻城の石垣の矢穴のある石があるので、おそらく高槻城の石垣が使われているんで、おそらくここでも発見されるかもしれません。

南西側から順番に見ていきます

石が白くなってわかりにくい場所もありますが

その右手に行くと、矢穴がないものの、赤い石と、そうでない大きな石が現れます。これはとても怪しいんですが断定できません

ここも比較的大きな石が使われています

今後は北東から見ます 正面左手の石などは矢穴があるように見えますが、確実ではありません。

後藤川の暗渠になっている上の部分 ここの中央矢穴ではないでしょうか。砂岩っぽい石も見られます

2車線分の真ん中です この左側の2つは色が石垣石っぽいですね。でも矢穴っぽい部分がありません。

コチラは石が白くなってちょっとよくわかりません 中央左は矢穴のように見えます

これは先に記載した部分のひとつ。こちらの正面の石も矢穴っぽいといえばそうかもしれません。

アーチのためのレンガが4列積まれています。当時建設中にレンガが不足が発生したのは確かのようですが、そのため石垣石を積極的に使ったのかは不明です。
後藤川のレンガアーチ、明確な石垣石が使われてる痕跡はなさそうなんですが、花崗岩の赤い石(小豆島)、そうでない緑っぽい石(京都加茂)で代表されるんではないかと推測します。もう少し今後それぞれを他のレンガアーチの石と見比べてみたいと思います。
一昨年2023年9月にも観察はしたんですが、高槻城の石垣という観点で見ていませんでした。
▶川西町 後藤川のレンガアーチ じっくり観察してみる
▶2月にABC朝日放送のなんでやねんで放送された高槻のレンガトンネル 取材依頼をした内容と流れを確認してみる
▶レンガトンネルシリーズ特設ページ
以下は前回の投稿です。
◆今回は、レンガアーチ第3弾で紹介した、萩之庄のレンガアーチです。高槻の檜尾川の東側の礒野レンガアーチですが、ここにも高槻城の石垣石があるのか調べてみます。

今年2025年7月で、明治9年官営鉄道鉄道開業から149年です。
この礒野レンガアーチの竣工は明治9年4月。

立派な構造です。軽自動車も通れます。

中央で補強されていますが、内部のレンガも美しい。

さて、中央下の石積を見ますと、花崗岩、砂岩が組み合わされているようですが
この部分に矢穴のあとがある石があります。左側の石も高槻城の石垣っぽいですねえ。

さらに、レンガアーチを出たのりめんの石垣にも矢穴のあとがあります。
高槻城の石垣は、大坂城築城と同時期に小豆島や、木津の加茂の方から運ばれたと言われていますが、まさにこのような黄色い石は小豆島の石と思われます。
いままで、高槻にあるレンガアーチ、芥川鉄橋、さらにはJR京都線に残るレンガ石積遺構を調べてきましたが、改めてどの範囲にあるのか調べなおしたいと思います!
以下は前回の投稿です。
◆高槻の檜尾川のJR鉄橋 ここも高槻城の石垣石が使われてるのでしょうか?明治9年、開業時日本初の下路式鈑桁(かろしきばんげた)の鉄橋です。この鉄橋は、大阪から向町までの開業時(明治9年7月)に、芥川鉄橋と同じく開業直前に竣工した鉄橋。

この橋桁付近は建設当初の石積みとレンガ構造が残っているようです。
前回投稿した下段の写真(南側)では、高槻城の石垣が使われている矢穴あとは見られないのですが、

今回北側から、南側2車線分の石積みを見ますと、写真左側の上の石と、一番下の石。矢穴のあとが残っています。いままでレンガアーチなどを投稿していた中で、あまりこの高槻城の石垣石の転用先を詳しく調べていなかったんですが、前回茨木駅の近くのレンガアーチにもあるのではないかと投稿しましたが、檜尾川まで使われていると、かなり遠い場所まで使われているようですね。
この先、東側の萩の庄、梶原のレンガアーチは石積みが少なく、矢穴の後もないので、ひょっとするとここまでの間に使われていたのではないでしょうか?ただし、その西側の高垣町の溝口レンガアーチ、東側の萩の庄の磯野レンガアーチを詳しく調べていないのでこちらも調べます。明治7年10月にから工部省から官営鉄道会社に売却された高槻城の石垣石。引き続きどのあたりまで使われて、どのくらい使ったのか推定していきたいと思います。(JR京都線150年まであと1年半、高槻城公園北エリア整備もあと2年くらいなので)
▶トンネル第五弾(全体まとめ付)
▶高槻の芥川のJR鉄橋 高槻城の石垣が使われている橋脚を建設前の図面と見比べてみる その2 2024年8月
▶レンガトンネルシリーズ特設ページ
以下は前回の投稿内容です。
◆高槻の謎として大阪から京都までの鉄道開業時の謎をいくつか投稿します。今回は、檜尾川の鉄橋についてです。神戸線の着手(明治3年)のあとに資金難から、明治6年に大阪京都(向日町)の建設が着手されました。開通は明治9年。京都までは明治10年開通。今年鉄道開業150年(京都線は146年)になりますが、どうも日本最初の下路式鈑桁(かろしきばんげた)の鉄橋だったらしいです。プレートガーダーという名前だったみたい。それって何でしょうか?実際に檜尾川の鉄橋付近に行って観察してみました。

現在の鉄橋は、一般的な上路式鈑桁(じょうろしきばんげた)というみたい。開業時、芥川の橋もこのような線路の下に構造物で支える構造だったようです。それより大きい川は、今でもあるトラス形式(車両の横に補強の鉄骨がある形式)の鉄橋だったようです。

しかしながら、開業時は檜尾川の鉄橋だけがなぜ、下路式鈑桁(かろしきばんげた)だったのでしょうか。適度な長さだったからではと勝手に推測します。写真ではサギくんも鉄橋を眺めています。
ところで下路式鈑桁(かろしきばんげた)って、どのような構造だったのでしょうか?

調べると、国道171号線の阪急京都線の鉄橋がそのような構造のよう。電車の重さを両側の鉄骨で支えます。線路の下の構造で支えるのではないようです。

サギくん、飛び立ちました。今の鉄橋の方に向かってみます。

線路付近に来ました。現在は複々線になっていますが、創業当時は単線です。

この左側の線路が昔の線路(後に北側に線路が拡張)のよう。

南側の鉄橋の土台部分ですが、開業当時のままの石積みとレンガ積みが見えます。

レンガ積みの部分までが当時の高さなので、下路式鈑桁(かろしきばんげた)だと、レンガ積みの部分近くに鉄橋を載せていたのでしょうか?

河床まで降りたらわかりそうですが、ちょっと河床は降りられません。(もし降りられたらもう少し観察します)

次に東側を観察します。こちらも今の線路の高さまでレンガ積みがあったようです。

さらにそのレンガをおさえる石までありました。おそらく当時から高さはこのままのようです。
ということで高槻の謎としまして、しばらく大阪京都の間の開業時の情報を投稿したいと思います。
▶JR京都線 特殊貨物 両側にDD51型機関車、この貨物の運ぶものは?! 撮り鉄の方々と撮影してみる 2023年12月9日

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