高槻城の二の丸御殿にあった不明門、開かずの門があった場所に石垣が残されています。この元あった場所がわかるようになっていることを今更ながら知りました。。
場所は、野見神社と高槻城公園芸術文化劇場の間
なぜかこの場所だけ石垣になっています
この場所は、ちょうどここにあった
お堀あとに見つかった不明門のあと
以前、発掘調査のとき(下段の投稿参照)に当時みなさんが驚いた不明門のあとです。
このように場所がわかるように、なっていたのは知りませんでした。
高槻城公園芸術文化劇場のあった二の丸御殿の想像図もその後更新できていませんでしたので今後しろあと関係を追加していきたいと思います。
▶高槻城不明門 開かずの門が開いた!
以下は2017年7月3日の発掘調査報告のようすです。
◆3日に高槻城の二の丸北側のお堀の発掘調査報告がありました。
10時すぎにはおよそ300人くらいの見学のかたがこられていました。
前の3つの記事
・高槻城のお堀の発掘をしているみたい(4月)
・発掘調査の報告があるみたい(29日)
・発掘調査の報告がある 続報(2日)
を書きましたが、実際何がわかったのか
今回の発掘調査のなかの4つの発見を記載します、
1.不明門には築城初期には橋が架かっていたこと(お堀水面と同じくらいに切られた橋桁が発見されました)
橋桁は片側に角度の違う柱が2列あり同時期のものではなさそうのこと
2.二の丸築城のころの資材を運んだ土橋が見つかりました。両側に土嚢を積んだあともある、、(写真手前)
3.不明門の石垣もあった!
石垣の土台の部分の石垣も残されていました。造りは本丸の石垣のような石垣が前にずれるのを防ぐ根固め石がありました(2段ある左側が石垣石)
4.二の丸の北西角の隅櫓には石垣がなかった!土塁の上に石垣があってそのまま石垣が持ち去られたみたいです。
多くの方が三の丸からの説明のために並んでいる間、森田特別館長の特別講義が始まってしまいました、。高槻の殿様と淀城の殿様が兄弟だったこと、京都所司代と高槻藩、淀藩は必ず殿様が離れないことが申し合わされていたことなど、歴史の講座となり最後に見学者から多くの拍手がありました、、、

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