古曽部町の能因法師墳のお隣に共同住宅と住宅地ができるようです 2024年

場所は能因法師墳の南側

奥に見えるのが、能因法師墳です。

その手前の道路沿いに、共同住宅と住宅6戸ができるようです。工事は12月から始まって来年の10月までのようです。この付近は高槻でもとても歴史がある地域で、とても静かな場所です。また街かどの変化ありましたら追記します。
以下は能因塚を紹介する前回の投稿です。
◆久々の投稿です。いつもの高槻、その55としまして、今回は古曽部町の能因法師墳(お墓)です。いままで紹介していなかったのが不思議なんですが、紹介します。ところで能因法師ってどのような方なんでしょうか?

場所は北高に上がる道沿いの左手。
▶江戸時代に描かれた「摂津名所図会」 高槻で紹介された図会は?
以前に江戸時代、高槻の名所を記載した摂津名所図会にもあることを紹介しました。

(摂津名所図会より引用)

昔の道が残るところの手前で左に曲がります。

まっすぐ進んでもすぐ

花の井、不老水、古曽部窯跡などのもあるのですが、

少しさらに左に曲がって進みます

途中でまた右に行くんですが

ここから能因法師墳が見えます。昔の資料を見るともっと森が生い茂っていたようですが伐採されたのでしょうか。

近くまで行ってみます。
能因法師とは、平安時代中期の歌人のようです。生まれは988年、古曽部に居を構えて歌道に専念されたようです。最近あまり知られてないですね。
この正面にある石碑は、高槻藩の初代藩主永井直清公が顕彰(物事を明らかにして表彰する)されたようです。正面の顕彰碑は初代藩主永井直清公がつくったもののよう。

周囲はかなり傷んでいるところもあるようです。

説明図がありました。

これは、古今和歌集にある歌
山里の春の夕暮きてみれば
入相の鐘に花ぞ散りける
のようです。

周囲の木が伐採されているようです。

囲いには傷んでいる部分もあるようです。
市のページを参考まで
▶高槻市の能因法師墳の記載
なお、西国街道には

道しるべがあります。江戸時代のかたは、ここから能因法師墳に向かったのでしょうか。
今後、関連する伊勢寺や、花の井、不老水、古曽部窯跡も調べたいと思います。
▶シリーズ特集 いつもの高槻
コメント