高槻の歴史として、戦時中の高槻は、空襲や地下倉庫の話が語られることが少なくなっています。 2026年 
空襲については以前にも記載した通りなんですが、地下倉庫については見学する機会があったものの投稿する機会がありませんでした。
タチソ表紙
今回その概要について報告できていませんでしたので、戦後81年のこの機会に投稿したいと思います。
2024年の見学する機会がありましたので、そのときのようすを抜粋して追加します。

高槻の歴史としまして、戦争の遺跡「タチソ」はどこにあったのでしょうか?過去に何度か記載していますが、詳しい場所がよくわかっていません。
以前には戦争遺跡保存の会の見学や、学校などでも見学があったときもあるようですが、現在は戦争遺跡のあとは崩落の危険があるため見学のイベントもないようです。
全体像がわかる情報として、2015年に、「消えていく戦争 70年目のタチソ」という写真集が出版されましたようすをご覧になられた方もおられると思います。歴史的背景、トンネル群の場所について、その本も参考文献にさせていただき、さらに2024年11月にありましたタチソの見学会に参加させていただきましたのでその歴史に触れてみたいと思います。

◆そもそも何のためにどこにつくられたのか
1944年にサイパン陥落を受けて、本土決戦のための戦闘指揮所として全国各地に造られることになります。近畿、中国、四国、東海の防衛の中部軍の司令部のために造られ始めました。
当初は、長野県松代、東京都浅川、群馬県薮塚、愛知県楽田、高槻、福岡県山家に計画されて、大阪には他に吹田山田、茨木中穂積にもトンネルが掘られました。
1945年1月に明石の川崎航空機工場が空襲を受けて、戦闘機「飛燕」のエンジン部分を製造する地下工場に目的が変更されました。

20241111タチソ (6)
タチソの場所は第1トンネル群から第4トンネル群まで4つに分類され、第1トンネル群(縦16本、横4本のトンネルが全長4500mも掘られたが、現在は砕石場になったり崩落などで数本が残るのみ)が最初に造られて終戦時に稼働直前までになっていました。第2トンネル群は1945年春に着工で未完成に終わりました。第3と第4は一部のトンネルと、用途不明の台座が造られました。(資料は第2を第5と分けています)
20241111タチソ (16)
右手は川久保への府道沿いにあった第1トンネル群の方向です

場所の概要の説明を受けます
20241111タチソ (26)
第1トンネル群(縦16本、横4本のトンネルが全長4500mも掘られたが、現在は砕石場になったり崩落などで数本が残るのみ)
20241111タチソ (33)
見学は檜尾川沿いの西側、第2トンネル群に向かいます
20241111タチソ (34)
小さな公園のような広場を越え
20241111タチソ (35)
原成合線の新名神の橋梁の手前のところから入ります
20241111タチソ (36)
基本立ち入り禁止です。
20241111タチソ (37)
すぐに第2トンネル群のT1やT2といわれるトンネルの穴が見られます
20241111タチソ (38)

今回は第2トンネル群のトロッコ跡などがのこるT3と、貫通しているT5のトンネルを見学します
20241111タチソ (89)
T3のトンネルにきます
20241111タチソ (39)
注意して入ります
20241111タチソ (40)
真っ暗なので、自分のライトが命です
20241111タチソ (43)
枕木のあと(緑はレーザ光)
20241111タチソ (44)
普通に立って進めますが
20241111タチソ (45)
注意が必要
20241111タチソ (47)
広い場所が現れます
20241111タチソ (48)
工事をしたときの穴などが残ります
20241111タチソ (49)
たくさんあります
20241111タチソ (51)
上の岩盤が崩落しないか心配です
20241111タチソ (52)
補強の木材を入れた?穴がたくさんあります
20241111タチソ (57)
さらに先に進みますが
20241111タチソ (60)
行き止まりになっているもよう
20241111タチソ (62)
しかし奥の方は広い
20241111タチソ (69)
これだけの人が輪になって話ができる広さがあります。
20241111タチソ (70)
途中までの掘削のようでした
20241111タチソ (75)
ゆっくりと戻ります
20241111タチソ (76)
かなり距離はあります
20241111タチソ (77)

20241111タチソ (80)
崩落しているところを通り
20241111タチソ (83)
最初のトロッコの枕木のあとのある場所に来ました
20241111タチソ (86)

20241111タチソ (92)
無事に出てきました。
20241111タチソ (96)
谷の向かいにも穴があります

沢を上ります
20241111タチソ (99)
貫通しているT5といわれるトンネルに向かいます
20241111タチソ (103)
こちらは入り口が狭い(下が崩落して入り口が小さくなっています)
20241111タチソ (104)
入るのに注意が必要
20241111タチソ (107)
ロープで、真っ暗の中に行きます
20241111タチソ (108)
入り口はこのように埋まりかけていて、進みますと
20241111タチソ (110)
コンクリートで固められた場所が現れました
20241111タチソ (111)
かなり大きいです
20241111タチソ (114)
天面を左右の細い部分で支えています
20241111タチソ (118)
なにやら木片も見られます
20241111タチソ (121)
隙間には大きな石も詰められています。
20241111タチソ (123)
岩盤が弱かったからか
20241111タチソ (125)
他の天井部はしっかりしていそう
20241111タチソ (131)
さらにその先にも
20241111タチソ (132)
同様な構造が
20241111タチソ (133)
その先は再び埋まってきているようで
20241111タチソ (134)
貫通しているとはいえ
20241111タチソ (136)
通り抜けはできなさそう
20241111タチソ (137)
途中で崩落部分もあり、足が滑ります
20241111タチソ (138)
その先に行きますが
20241111タチソ (139)
さらに行きます
20241111タチソ (140)
そうしますと
20241111タチソ (141)
かなり高さが低くなった(埋まってきている)場所から
20241111タチソ (145)
ほぼ埋まっているものの
20241111タチソ (146)
貫通した先が見えました
20241111タチソ (151)
再び真っ暗の中を通ります
20241111タチソ (152)
数か所のコンクリートの場所もあり
20241111タチソ (156)
最初のふさがりかけている狭い入り口に戻りました。
20241111タチソ (164)
2つのトンネルの見学を終えて
20241111タチソ (172)
タチソの碑のあるところで解散しました。
わずか2つのトンネルの中を見学するだけで精一杯でした。このような戦争のためのトンネルを造っていたことが理解できない印象でいまだに整理できない気持ちでございます。本当は昨年に記載したかったんですが、戦後81年の節目で見学した内容を主に記載させていただきました。

今後も関連情報を追加したいと思います。

以下は前回2022年の投稿です。
◆高槻の戦時中の話はあまり知られていません。
終戦表紙
多くの方が、その後高槻に来られているから、という理由もあるようなんです。
来年は高槻市政80周年ですが、市政施行は昭和18年、終戦78年です。

今年は終戦後77年。戦争のまっただなかに市になり、来年市政80周年と節目は大切なんですが、今後がもっと大切と思います。といいましても、昭和18年の時代を振り返るのもよいのでは?と感じた次第です、、もうそろそろ16日になりますが、、下記の場所は終戦時、高槻市でない場所もありますがご了承をお願いします

今高槻でお住まいのかたで敗戦前の高槻のようすを知らない方が大半かもしれません、、終戦直前に高槻で起こっていたことを少し調べたので登録させてください、、

高槻の空襲はあったのか?1945年になってから6回あったみたいです
3月19日 原バス回転場付近 小型爆弾
6月7日  真上(緑ヶ丘2丁目)付近
6月15日 芝生・西冠付近 焼夷弾
7月9日  三島江三箇牧(三島鴨神社)銃撃
7月28日 野見町 銃撃 高槻駅 爆弾
7月30日 五領村上牧国道 富田駅ホーム 銃撃

高槻の地下倉庫(タチソ)とは何?北部にあるタチソ地下倉庫ですね
全国に200箇所くらい造ろうとしていたみたい、吹田丘陵、茨木の丘陵にもあったみたいですね
当初は陸軍の貯蔵施設として(これは現在変わっているよう)工事をはじめたけれど、途中で川崎航空の工場になったみたい、3500人もの方が突貫で1944年11月から造り始め、完成直前で敗戦になりました、相当急いで作った感があります、、

高槻は戦中は疎開先として、戦後は大阪からの罹災者を多く受け入れたみたいです、、
(昭和21年、高槻の人口52289人敗戦直後の罹災者3776人)(総務省資料、高槻市史より引用)

予算ですが当時の市の予算(歳入)は8640万円なのに一方で歳出は3930万円すごい緊縮だったみたい
財政の詳しいところはまたどこかで、(高槻市史より引用)

ということで、新しい情報あれば追記していきます。