高槻城に櫓や門があったらどんな感じなのでしょうか?その謎に迫るため、前回の宇和島城、高知城に続き、今回は京都府南丹市の園部藩の園部城あとを訪れてみました。園部を訪れた方はおられるでしょうか?過去に一度訪れたことがあるんですが、ブログ始めてからは初めてで久々になります。

高槻から樫田から亀岡経由で国道9号線、下道で約1時間少し。今回その1は遺構部分を中心に記載します。その2は国際交流会館と市立文化博物館、まちかどのようすを記載します。また道中の国道9号線の眺めは最後に。

いきなりですがまず園部公園から始めます。園部のお城は、小出氏が幕末までおさめていて、陣屋だったのですが、石高は3万石。(高槻藩は3万5000石)幕末に園部陣屋は園部藩になり、門と櫓の建設を幕府に申請します。しかし、最終的に幕府からの許可が出ず、なんと明治維新後に新政府から許可が出て、明治2年に門や櫓が建設されました。日本で最後に建設されたお城のようです。現在はその城あとには園部高等学校のほかいろいろな施設が建設されています。

公園には、カワセミ?のモニュメント

トイレのわかりすぎる表示があり、、

右側が文化博物館、左側が国際交流会館です。この中の情報はたくさんあるため、その2で記載したいと思います。

この間にお堀あとのようですが

そこにはプールがありました。現在は使われていないようす。

文化博物館のようすは、その2で

ここが、園部城かと思ってましたがこちらは国際交流会館。すごい建物です。

ロビーはこのようなようす

最上階はこんなかんじ ここからのようすは、その2にて。。

園部公園の駐車場の反対側(写真手前)の園部高等学校のほうに行っています。

園部城址の石碑がありました。

学校の正門が門として残っています。

立派な門です。亀岡城の門の古写真でもこのような感じでした。この2階建てのような感じは高槻城も似ていたのでしょうか。ちょっと見えないのですが、左側に番所があり

左側に櫓が残っています。

正面の民家はこのようなようす 大きな民家が並びます 旧武家屋敷あとかもしれません。

厠あとがあった、現在の広場の右手に園部高等学校に登る坂道があり

少し登っていきますと

櫓の見える裏門がありました。

番所も少し見えました。このような建物が高槻城にもあったのではないかと推測します。
園部城には門の右側にあった、もうひとつの櫓が移築されて現在も残っています。

園部の街から少し手前の八木町の旧道から川を渡った近くの安楽寺

こちらに

りっぱな櫓が残っていました。高槻城の櫓もこのようなものだったのでしょうか?2階が少し小さい感じもしますね。

りっぱな山門

御本堂はこのような建物です この境内に

太鼓櫓があります。その説明もありました。

近くで拝見します

梁のの部分が漆喰になっていて、お城の櫓の感じがします

重厚なかんじでした。

高槻城の北地区で再現される櫓はどのようなかんじが気になりますが、このような建物になればと思います(私見)

なおこの近くには、けやきの大木があり

おそらく1000年近くの木ではないかと思われます。グーグルマップにも載ってなく、普通にこのような大きな木があるのはこれらの地区は歴史があるのではないでしょうか。
園部城あと
なお、その2で、文化博物館、国際交流会館、園部の街かど、国道9号線のお店 を投稿します。
なお、最近に訪れたお城の投稿はコチラ
▶高槻城に石垣や天守閣があったらどんな感じなの? その謎に迫るため今回は高知城に行ってみた!
▶高槻城に石垣や天守閣があったらどんな感じなの? その謎に迫るため宇和島城に行ってみた!
高槻城も絵図を見ると、天守閣は本丸の中の少し内側に天守台があってそこに造られていたようなのでこのような構造だったのではないでしょうか?
なお、高槻城の天守閣の絵図をいくつか紹介します。(以下天下泰平と高槻城、高槻市史第4巻付図、しろあと歴史館より情報を引用)

図の上にあるのが天守閣、3層ですがちょうど宇和島城の写真の向きと同じでしょうか。

これも高槻城の残っている絵図です。

城郭地図で大きさが描かれているものがあります。高槻城もこんなだったんだろうな、と想像しました。また、今後も考察を付け加えていきたいと思います。
参考:
▶高槻城築城400年 特設ページ
▶高槻城の二の丸御殿はどのような建物だったのか 御殿を推測してみる その3
▶現存する高槻城の石垣石 高槻城公園南エリア付近に知られていない石 南側の池のところにもあった!?
▶旧亀岡城移築御殿 府の文化財指定され保存修理が行われてる 超貴重な修理現場を見学させていただいた 亀岡市の真福寺
◆以下は前回の明石城を見学しての考察の投稿です。
石垣編に続いて【天守閣】編です。
高槻城の天守閣については詳細わかっていないみたいですが、3層だったこと、昭和51年旧島上高校体育館の建て替え工事に発見された石垣石とともに多くの瓦が、お堀側に捨てられていたという情報しかありません。材木などはどこかに転用されたのか??そういった情報もありません。(補足情報あれば今後更新します)
明石城は天守閣がなかったのですが、櫓が4つ作られ、現在2つが残っています、明治初年には3つあったけれど櫓の1つは小学校建設に転用されたみたい、
大手門から入ってすぐ左右に2つの3層の櫓が見えてきます。

向かって右側が巽(たつみ)櫓、

左側が天守閣の代用だった坤(ひつじさる)櫓です。この2つの櫓は石垣の上少し高台にあり、櫓へは東まわりに登っていきます。

夏場は櫓の公開されていないようですが、築城400年前の夏休みということで、土日だけ坤櫓の公開がされていました!ラッキー!

櫓のある二の丸まで登ると何やら外国人歌手??が巽櫓をバックにPV撮影?されています、、(笑)

東側(向かって右)の巽(たつみ)櫓を近くで見るとこんな感じ

西側(向かって左側)の坤(ひつじさる)櫓です。1階が公開されていました。おそらく高槻城の天守があったらこんなだろうと推測します、

多くの筋交いがあります。筋交いの入ってる多くの柱は、おそらく1尺くらいあります

2階へは急な階段が、、

50cmくらいの丸太の梁が鉄枠で固定されています

1階の窓?から覗くと、天然のクーラーみたいな風が、、
外には球場があって前日は、兵庫県大会の決勝があったみたい、、
下はおもむろに超重要な瓦などがいっぱい、、

この櫓は実は築城時に別の城から移築されたみたいなのでおそらく400年以上建っています、
説明の担当の方も高槻城との関係をよくご存じでした(当然か)
勝手に選定して勝手に行って勝手に感慨にふけって勝手に登録しましたまた今後補足情報あれば追記していきます
来週末土日もおそらく公開されていると思います。(要確認)

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