JR京都線高槻駅開業150年としまして、大正時代に北大阪電気鉄道(阪急)が東海道線の吹田以南を払い下げられ阪急千里線開業し、それまでの官営鉄道あと下新庄駅から淡路駅付近まで歩いてみた投稿をしましたが、その内容を再送します。
かつては阪急淡路駅の南から下新庄から吹田までの間は、官営鉄道開業明治9年から大正時代までの間、JR京都線でした。
JR京都線は官営鉄道開業後、吹田~淀川の間を現在のルートに移転します。それに合わせて大正時代、北大阪電気鉄道が東海道線の吹田以南を払い下げられ千里線を開業しますが、現在高架事業をされている下新庄駅から淡路駅付近までは旧官営鉄道のから国鉄の時代のルートでした。JR京都線開業150年に向けて、この付近がどうなってきているのか散策してみました(2024年6月)
現在は、下記の写真の淡路駅から下新庄駅付近は工事も進み少し変わっていると思われます。
阪急下新庄駅

起点は下新庄駅の東側。

駅構内の東側には高架のための橋脚が作られています

駅の南側には鉄骨で橋脚が作られています。

橋脚の中に、線路の下に駅ができるようですね。

ここにも詳しい計画の表示がありました

この中央の緑の柵のあるところが、見たかった場所のひとつ(官営鉄道時の水路用レンガアーチがあったはず)なんですが、ちょっと見えませんでした。

すぐ北側に踏切があるんですがここからは見えそうなんで、最終的には見えるようになるかもしれません。

踏切を西側に渡ります。この北側に車道が地下道になるところがあるんですが、そこもレンガ遺構があったんですが、現在はなくなっています(グーグルマップではまだ見える)。この内容は下段にもう少し北側にある神崎川付近を見た時にも記載しています。

踏切を渡り、線路の西側(右手)を南(奥)に歩きます。

おそらく官営鉄道時も通っていた場所。開業当時は単線なんで、おそらく手前(西側)の線路付近を通っていたと推測されます。

しかし、この踏切付近で高架が西側から東側に行くようです。どのような工事をするんでしょうか?

古い商店をとおり

西側を淡路駅方面に歩きます

この付近は結構段差があります。この後段差は少なくなっていくようです。
阪急淡路駅の高架工事

淡路駅方面に向かいます。途中で新幹線が上を通ります。ここは線路に段差があるので、だから高架が高いのでしょうか。ここも官営鉄道時を引き継いでいます。

このあたりは線路ののり面に橋脚がつくられているようです。

なので、下を線路が通ってる??

もうひとつ踏切が現れました。こちらも段差があります。しかしここを通る方が多いです。おまけに自転車も多い。

再び工事されてないところがありまして

さらに進みます。しかし、なんだこの高さは??2段目も線路が通るのでしょうか?この先、城東線(旧貨物線)が横切るため、ここも2段目が高いようです。

淡路駅に向かうところで、段差のない踏切にきました

この淡路駅なんですが、ここで東側に渡って戻ります。

左手に行きますと

すごい光景が、下にJR線路(城東線)があえいその上に効果をつくろうとしています。

線路の上は鉄骨のトラス橋なんですね。上を線路が通るんですね。

これは京都線の上新庄駅方面

淡路駅の北側で分岐します。しかし高いです。

再び、千里線に戻ります。建設途中の橋脚。

その先には、謎の屋根ができています。ここになんかできるのか??

新幹線の部分まで戻ってきました

踏切の反対側。こちらも段差がありますね。

振り返るとことのようなようす。ここは下新庄駅に近いですが、なんか駅のようなものができるのか??

ここから下新庄駅までは東側は、高架工事がされているため、もうひとつ東の住宅地を歩きます
工事中の学校を通り、

再び下新庄駅まで戻りました。まだまだ相当時間かかる印象ですが、明治9年開業の官営鉄道時の線路が阪急に利用されていることは意外と知られていないのではないでしょうか?
次回は、淡路駅から、淀川までの間がどのようなルートを通っていたのかを調べたいと思います。
現在も官営鉄道時代の通路の名前が使われてる場所もあるようです。
◆以下は5月22日の投稿内容です。
大阪・京都間鉄道開業時の情報をもとに、今も多く残るレンガ構造物を調べていると、高槻から大阪の間は、吹田より南で現在の阪急千里線を通っていたようです。この謎を解くために昨年下記の投稿をしました。ABC放送のなんでやねんにも取材依頼してるんですが採用されるか不明なんで、先に投稿します。さらに今回知られていない遺構がないか調べてきました。
▶大阪・京都間鉄道開業時 高槻から大阪の間は、途中で阪急千里線を通っていた!
まず少し北摂の民間電鉄の歴史を調べます。
・明治43年、箕面有馬電気軌道が開業、
京阪電車の前身も開業。阪急電車はまだです。
・大正10年 北大阪電気鉄道が大正5年に申請していたものの結局、東海道線の吹田ー大阪間の付け替えをおこなっていた跡地の払い下げをうけ、天六までの延伸を考えていたものの、十三ー豊津駅を先に開業、同年千里山駅までを開業します。

この旧官営鉄道旧線路のとの分岐地点を再び訪れました。何か当時の遺構はあるのでしょうか?

今回はこの赤線と黄色の線の分岐する部分を歩いて、昔の遺構がないか観察しました。

昔はJR京都線(旧官営鉄道)は、開業明治7年から大正時代まで、赤色の現在の阪急電車の経路を通っていました。前回下新庄の北側、神崎川の付近を歩きました。現在は淡路駅から下新庄と吹田の間まで現在高架工事がなされていて、当時の遺構がなくなってきています。
よーく見ていただきたいのですが、赤色と黄色の接続部、本当はスムーズつながるかんじにならないとダメですが、現在は阪急吹田駅のところで急カーブしJRと阪急千里線が直交しています。

現在の阪急千里線はこのようなルートになっています。
直交しているところに阪急吹田駅があります。

昔は上記のような点線で線路があったのではと推測します。しかし、前回怪しい空き地があったところまで記載しました。吹田駅とこの図の下の神崎川までの間には水路用のレンガアーチが3つあったようです。

阪急電車は淡路から吹田の間で以前あった右側の線路(官営鉄道の払い下げされた場所)を高架しています。そのため仮の線路を横に作っています。

前回投稿した、神崎川の少し北の鴨沢水路のレンガアーチはなんとか残っているようです

高架橋がかなりできてきました(神崎川から北に歩いています、写真は南側)
この先南側は次回投稿します

吹田に向けて高架はなくなり、

従来の高さになります

前回最後にここまできました この怪しい空き地は、官営鉄道の線路あとではないのか?
現在この空き地は、尼崎市の管理?で地下に水道?の設備があるよう(要確認)
この先は、どのようになっているのでしょうか?

なんか右にカーブしてます

先の謎の空き地の反対側(北側)

この先は道路になっています

しかし、なんかまっすぐでない場所もあります(あとで戻ってきます)

さらに先には

怪しい古い石垣が

近くで昔の話を聞こうとしましたが、ご不在のよう

こちらにも しかし、遺構はこれだけかなと思い、すぐ東にある阪急電車の線路沿いを帰ろうとしたところ

??正面は阪急の線路ですが水路??があるもよう。ということは??!!

暗渠になってる??

さっき、通り過ぎたところになにやら怪しい遺構らしきものを発見!!奥(西側)はなんか水路の橋の土台になっているようにみえます。

手前(東側)にも少し盛り上がったようすが見られます

その北側には、レンガのあとが。。。

これはレンガアーチのあとではないでしょうか??場所的には、吹田と神崎川の間にあった3つの水路のレンガアーチの真ん中、足洗レンガアーチ(明治7年建設)のあとではないでしょうか。

場所はここ。昔の官営鉄道の線路あとの経路ではないかと推測します。

これが150年前のレンガを積んだようすか??

その西側のコンクリートの土台らしきものを見ますと、こちらにも下側の斜めのレンガがあります

その先はレンガは見えずこのようになってます

反対側(西側)から見るとこのようなようす

これは、線路あとでは??でもこのコンクリートの土台が比較的新しいというかレンガアーチを壊してつくられているのが気になります。

すぐ南側ではその線路(と思う)幅で住宅が新築工事がされてます

さらには、その南にある通路では、その線路あとと思われる場所だけ地盤が高いです

高い場所から阪急電車のすぐ横の道までも段差があり、古い石材がここにもありました。
しかし、この付近にお住まいになられている方にもお聞きしましたが、大正時代の歴史を知る方はおられませんでした。要確認ですが北大阪電気鉄道が大正10年に開業した後、この官営鉄道あとの場所を操車場として使っていたとの情報があります。ということはコンクリートの土台は水路のレンガアーチを壊して後年作られた可能性がありますね。足洗水路レンガアーチの遺構の新発見ではないかと思われます。。ということで現在阪急電車の線路になっている旧官営鉄道のつなぎ変えをした場所にある遺構(と思う)でした!!
◆下記は前回の投稿なんですが、全体像として重要なので記載します。

淀川や神崎川の付近は後年、川の改修がされているので鉄道開業時のようすは残っていないんだろうなと思っていまして、どのようなルートを通っていたのか調べていると、、、

(グーグルマップから)
吹田から新大阪へむかう現在の路線(黄色)ですが、明治9年の開業から、大正10年までの間、現在の阪急千里線の吹田~淡路~柴島を通っていたようです。今の神崎川は幅が広いですが、当時は4分の1くらいだったよう。この間にも昔の構造物は何か所か残っているようですが、近年淡路駅の建て替えや千里線の改修がされているので、残っていないかもしれません。
▶高槻の謎 高槻駅の開業はいつ? レンガトンネルはいつ造られたの? レンガはどこで作ったの?

高槻の方向から見るとこのように、現在の黄色のルートではなく、南側にルートがあったようです。吹田も8年ほど住んでいたことがあり詳しい方なんですが、全く知りませんでした。。
▶高槻の謎 高槻駅創業時を調べてみる 大阪まで何分かかったの?一日何本?運賃は? 開業当時を想い車窓を眺めてみる
◆以下は前回の投稿です。
今年2023年は鉄道開業151年、JR京都線は開業147年になります。今回は、大阪市から吹田市の間にあるJR京都線開業当時から現存するレンガと石造りのトンネルと橋脚を調べてみます。最初に開業したのは大阪から向日町。なお、高槻には通行用のレンガトンネルが14か所、水路用が14か所あります。芥川、檜尾川の橋梁の橋桁もレンガや石造り構造が残っています。高槻はまだ紹介できてないところもありますが、この歴史的なレンガ構造物を少し大阪から吹田方面で探してみました。
▶高槻の謎 高槻駅の開業はいつ? レンガトンネルはいつ造られたの? レンガはどこで作ったの?
上の遺構を昨年少し訪れました。
◆大阪市から吹田市
つぎに下新庄付近と吹田との間を調べてみます。
①阪急下新庄駅の右手レンガ構造物 阪急下新庄駅の工事に伴い、現在見えないようです。撤去された可能性があります。
②井戸川橋梁

阪急下新庄駅の工事に伴い撤去されたようです。これは2018年のグーグルマップです。丸い穴のような構造があるのが特徴でした。
③神崎川橋脚

吹田の中の島公園の近く、大阪市との間にかかる緑風橋という歩道橋から眺めてみます。

現在高架工事中ですが、ようすをみたところ、昔あった橋梁は、新しくなっていて、以前4本のうち2本あった歴史構造物(橋脚)はなくなったようです。

奥は現在の線路(仮設)です。昔はこの川幅の半部くらいだったようです。

工事計画図がありました

第8工事区間というようです。

④神崎川の北側の水路用レンガトンネル(鴨沢)

高架工事でどうなっているのでしょうか

こちらは高架工事に伴い、見えなくなっていますが、

なくなってはいないようです。フェンスの隙間から少し見えました。。。
⑤官営鉄道旧線路のとの分岐地点
▶大阪・京都間鉄道開業時 高槻から大阪の間は、途中で阪急千里線を通っていた!
昔、JR京都線(官営鉄道から国鉄)は吹田付近で、阪急の下新庄、淡路、崇禅寺を通って、淀川(中津川)を渡って大阪市に行っていました。

当時官営鉄道(国鉄)が下新庄駅とJR吹田のほうにつながっていた跡地がありました。右手は現在の阪急千里線の線路です。いったん右に行って、そのあと阪急吹田駅でJRと直交しています。

この先にゆっくりと右に曲がり、JRの吹田方面につながっていたと思われます。
ということで、吹田付近は阪急の高架工事に伴いレンガトンネルや構造物がなくなっていくようで残念です。ただ、水路のレンガ遺構は現在も使われているので、そのまま残るかもしれません。
以上のような感じでした。また千里丘駅付近から茨木駅付近も少しあるようなので、長岡京から京都の間も含めて、JR京都線開業150年までに調べていきたいと思います。
◆大阪市
樋口レンガアーチ(架道橋) 淀川(旧中津川)のすぐ南側、本庄公園の近くにJR京都線の淀川と大阪駅の間に現在唯一残っているレンガトンネルがあります。

昔、JR京都線(官営鉄道から国鉄)は、この右手すぐの淀川(旧中津川)を越えて、水道記念館付近を通り、現在の阪急の線路を通っていました。阪急の崇禅寺、淡路、下新庄を通って、阪急吹田の手前で現在のJRの線路につながっていました。

入口は、補強されています。

幅4.57mです。

下が石積でレンガ構造になっています。

かなり大きいです。高槻では、上牧の近くの藪の花レンガアーチと同じ大きさと思います。
▶トンネル第9弾 西国街道 籔ヶ花 レンガトンネル!

奥に行くと、複々線の西側半分はコンクリート製。

さらになぜか内部で曲がっています。

トンネルの昔の西側部分も見えています。かなりぶつかったあとがありますね。。注意が必要です。

こちらも西側の部分が見えています。

西側から淀川の現在の橋梁を見たところです。昔の線路はもう少し低かった可能性ありますね。
以下西側(茨木市)、下に行くにつれて東側(長岡京)方面になります。
<JR京都線の通路 調査一覧 レンガトンネルは太字>
茨木市
▶茨木市新駅の名前はJR総持寺駅に決定!ついでに工事近くの140年前のレンガトンネルも見てきた!
▶トンネルシリーズ第六弾!ねじりまんぽ番外編
▶JR京都線 高槻のすぐ隣にある総持寺駅近くの五反田橋梁のレンガ構造👇
高槻市(JR京都線を横切る通路すべて書いてます)
赤大路町 踏み切り
水路用①
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富田丘町 踏み切り (富田村踏切)
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富田丘町 踏み切り (富田村踏切)
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富田町 ガード下トンネル
JR富田駅 地下通路
水路用③
水路用④
如瀬川東 ガード 車不可
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明治南 東五百住間(西之口)
明治南 東五百住間(西之口)
▶高槻のレンガトンネル 明治の南側の西之口トンネル ここにも矢穴のある石垣がみられる これも高槻城の石垣?
▶いつもの高槻 その39 チョコレートと電車とレンガトンネルと田んぼの風景 2020年
▶トンネルシリーズ第五弾!トンネル全体まとめ
👇水路用⑤
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明治の裏側のレンガトンネル(下阪谷)
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▶
👇通路用
▶
▶
👇通路用
芥川のすぐ西側にあるレンガトンネル(高城川)
▶
芥川のすぐ西側にあるレンガトンネル(高城川)
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▶川西町の芥川すぐ横のレンガトンネルの付近の工事が終わったみたい 2019年
▶レンガトンネルの第1弾で投稿した川西町のレンガトンネルが高槻の街かど遺産になってる!
▶レンガトンネル第1弾の土台の石は高槻城の石垣石を割った跡がある件
👇芥川ガード下東
▶高槻城の石垣が○○に転用されている?
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芥川ガード下西(人のみ)
芥川ガード下西(人のみ)
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水路用⑧
水路用⑧
171号線ガード
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水路用⑩
水路用⑩
JR高槻駅 西口ガード
JR高槻駅 地下通路1
JR高槻駅 地下通路1
弁天町 歩道高架橋
水路用⑪ 関大横
古曽部町 高架橋
水路用⑫ 残念ながら見えません。。
京大農場北 安満東の町 ガード
水路用⑬ 安満遺跡公園の工事で見えなくなってます
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高垣町 溝口 未投稿
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檜尾川西 踏み切り
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萩の庄 磯野
▶→●
萩の庄 磯野
▶→●
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梶原 南部バイパス用トンネル
梶原 南部バイパス用トンネル
▶→●
(高槻歴史遺産 東海140号 奥田畑)
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▶梶原2 下 未投稿
(東海139号 高槻「下」のことか)
▶梶原2 下 未投稿
(東海139号 高槻「下」のことか)
梶原2 内田辻 (一乗寺の南) 未投稿
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梶原2 甚兵衛川(梶原東バス停南 少し背が高い)
梶原2 甚兵衛川(梶原東バス停南 少し背が高い)
▶トンネルシリーズ第八弾!と梶原台場跡
👇上牧 西国街道 籔ヶ花
▶トンネル第9弾 西国街道 籔ヶ花 レンガトンネル!
👇島本町
水路用開渠(八幡川)
▶高槻のすぐお隣 島本町青葉三丁目の水路用レンガトンネル
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通路用
▶レンガトンネルシリーズ 島本町にもレンガトンネルがあった!
👇水路用(水無瀬川の東)
水無瀬川の橋桁のレンガ構造
サントリー前のレンガトンネル(大山崎町の西側)
▶島本町 サントリーの前のレンガトンネル・水無瀬川鉄橋付近を訪れた
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大山崎町
▶レンガトンネル 番外編 大山崎町にもあった ねじりまんぽ しかしかがんで通る小さなトンネルだった!
👇長岡京
▶高槻のレンガトンネル番外編 大阪・京都間鉄道開業時から残る長岡京市の2つのレンガアーチ橋を訪れてみる 6連レンガアーチ編(七反田)
▶高槻のレンガトンネル番外編 大阪・京都間鉄道開業時から残る長岡京市の2つのレンガアーチ橋を訪れてみる 3連レンガアーチ編
今後、京都方面も調べてみたいと思います。
まとまりがいまいちなんですが、
▶レンガトンネルシリーズ特設ページ
にもあります。まだ記載していない場所もあるので順次更新します。
そのほかレンガトンネルの歴史など
▶高槻の謎 高槻駅の開業はいつ? レンガトンネルはいつ造られたの? レンガはどこで作ったの?
新名神淀川橋工事 阪急とJR線の間のようすはどうなってる? 2022年11月
大阪・京都間鉄道開業時 高槻から大阪の間は、途中で阪急千里線を通っていた!
芥川の鉄橋の橋脚を改めてじっくりと眺めてみる、、やはり高槻城の石垣が使われている!
高槻のレンガトンネル 明治の南側の西之口トンネル ここにも矢穴のある石垣がみられる これも高槻城の石垣?
いつもの高槻 その39 チョコレートと電車とレンガトンネルと田んぼの風景 2020年

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