高槻の芥川のJR鉄橋ですが、橋脚の西側をもういちど観察してみます。今年2024年は7月に京都線高槻駅開業148年です。昔高槻城の石垣の遺構を改めて見てみたいと思います。
20240427芥川鉄橋橋脚 (3)
石垣が再利用されている橋脚3本が残ります 前回投稿には、明治初年の写真↓や、その前の投稿では建設前の橋脚の「図面」を発見しました↓
20240427芥川鉄橋橋脚 (1)
改めて橋脚の西側を見てみたいと思います 何か新しい気づきはあるでしょうか
20240427芥川鉄橋橋脚 (5)
この横長の石にも「矢穴」があります。
20240427芥川鉄橋橋脚 (6)
おそらくこの上、檜尾川に残っているようにレンガ積みだったのではないかと思われます。
鉄橋2
しかし、建設前の図面にはそこまで書かれていないです。
20240427芥川鉄橋橋脚 (7)
4車線の2つ目の土台が少し高くなっています。最初の単線時代はここを通っていたのでしょうか?
建設前の図面(上)でも、北側の方を通る図があります。
20240427芥川鉄橋橋脚 (8)
この土台の石垣をよく見ると
20240427芥川鉄橋橋脚 (9)
中央下に明らかに矢穴のあとがあります。茨木駅の東側のレンガアーチでも見かけたこのように、あえて記録として残していたのではないかと思います
20240427芥川鉄橋橋脚 (10)
この上のコンクリートは後年作られたのではないかと思われます。
鉄橋4
図は写真とは左右逆と思われます
線路複線が作られたときに、2本分が、本当にこの石垣の上の土台の乗っていたのか気になります。図面では1本分の図しかないのですが、中には2本(複線)が乗るのを意識した図面もあります
20240427芥川鉄橋橋脚 (2)
なお別情報なんですが、この前の3月議会でも市長からありましたが、現在高槻市から大阪府に鉄橋から富田駅方面の西側の高架化の要望を府に出されています。この付近のレンガアーチなど、歴史遺産的なものがあったり、現状で守られているものがあることなど、総合的に市民のみなさんで考えたいと思います。


◆以下は前回の投稿です。
高槻の芥川のJR鉄橋ですが、前回の橋脚の図面に続く、最古の写真と思われる写真を見つけました。
20240120芥川鉄橋 (1)
まず現在の芥川の鉄橋
20240120芥川鉄橋 (3)
5本の橋脚があり、建設当時の橋脚が3本残ります 
この場所から見た古写真があるようです
20240121芥川鉄橋古写真 (3)
これが、明治20年代前半と言われる芥川鉄橋(ふるさとの思い出写真集高槻 国書刊行館より引用)
さらに、この写真がすごいのは、夜に撮影されている(月光に光る芥川)ことです。後年に絶対残ることを意識されて撮影されたと思われます。





◆以下は前回の芥川鉄橋の「図面発見」の内容です。
芥川の鉄橋ですが、明治9年6月建設当時の橋脚の図面を発見しました。
見つけたのは土木学会の三田藩九鬼家所蔵の資料です。少し前茨木の尻戸三レンガトンネルの投稿をしましたが、芥川鉄橋の図面もあるようです。その図面と現在の橋脚と見比べてみます。
20230725芥川鉄橋 (18)
まず、現地の再調査。芥川のJRの鉄橋は4車線のうち、南側の2車線が古くて橋脚は5本。そのうち3本が現在も残る石積です。
20230725芥川鉄橋 (4)
もう一度橋脚を観察してみます。
20230725芥川鉄橋 (5)
上半分はコンクリートですが、下半分は石積みです。このあとの図面で推測するんですが、上半分のコンクートの中に昔の土台があるのではないでしょうか?
20230725芥川鉄橋 (9)
では上流側から見ると、先端はどのようになっているのでしょうか?
20230725芥川鉄橋 (10)
先端は尖っています。
20230725芥川鉄橋 (11)
流木などが引っかからないようになっているようです。
20230725芥川鉄橋 (12)
西側1本目の東面
20230725芥川鉄橋 (13)
続いて、西側からみて2本目。
20230725芥川鉄橋 (14)
こちらも先端は流線形のよう
20230725芥川鉄橋 (17)
石積みの部分は、西側の橋梁の土台と高さはほぼ同じです。この先の西側の石積ですがわずかに右側が高いですね。これはこのあと出てくる図面にもあります。その意味では現在4車線ある線路の南側から2本目が、最初につくられた線路のようです。

土木学会で見つけた芥川橋梁の図面です。(以下三田藩九鬼氏所蔵より引用)
KU_067 (1)
よくみると、下段にplanとあります。一車線分の図面のようです。
鉄橋1
部分的に拡大してみます。プランとあります。図面を見ると、幅は 4ft(1.2m)尖ったところも入れて長さは12.6ft(3.84m)なんですが、
20230725芥川鉄橋 (5)
よく見ると5mはあります。途中で変更されたのでしょうか。
鉄橋4
この図面では中央はレンガ作りの構想ですが、実際は石積みになっています。右側の図面の一段高いのは、現在と同じですが、西側の鈑桁を受ける場所は、左側(川の中の)橋脚より高い位置にあります。
20230725芥川鉄橋 (17)
でも鈑桁の土台の高さが少し違います。
鉄橋2
ちょうど写真の場所、やはり一車線分の橋脚の構想だったようです。でも今の橋脚を見てもあとでつなげた感じではありませんので、2車線を考慮してつくられたみたいです。
鉄橋3
東側の部分はこのようなかんじ。そのほか驚いたのは、一番下の土台。コンクリートと記載されています。当時からコンクリートはあったようですが、これだけ大きな土台にするのは大変だったのではないでしょうか。いまでも、地下に埋まっていると思うとどうなってるのか気になります。
KU_066 (1)
数字のない、図面もありました。実際は2車線分がつくられたようですが、このときの設計と実際の工法はどのようなのだったのかとても気になります。また橋脚の上部分がまだ残っているのかなど、今後わかれば追記したいと思います。
KU_046
なおおまけですが、この当時に通った機関車かもしれません。



◆以下は昨年2022年8月の投稿の内容です。
今回久々に芥川の鉄橋の橋脚を眺めてみました。
20220814芥川鉄橋 (1)
5つの橋脚と両側の構造物が作られたのは、明治9年6月です。大阪ー向日町間が開通する直前です。

橋梁は現在と同じ錬鉄鈑桁形式です。明治9年に単線ながらも鉄橋ができたのはすごいです。日本初の鉄道と言われる新橋ー横浜間は鉄橋はなく、ほとんどが木橋だったので、本格的に鉄橋やレンガ橋梁やトンネルのある鉄道が作られたのは、神戸ー大阪、大阪ー京都間が初めてのようです。おまけに今も多くが残っています。
20220814芥川鉄橋 (3)
現在、芥川の鉄橋の5つの橋脚のうち2つは、コンクリート製に取り替えられていますが、3本は石積が残っているようです。
20220814芥川鉄橋 (6)
現在の鉄橋(鈑桁)も古そうです。前回塗装しなおされたのが2007年のようです。このすぐ下は、
20220814芥川鉄橋 (7)
石積みの上はコンクリートになっています。おそらく後年取り替えられたか、積み上げられたようです。

檜尾川鉄橋
参考までに檜尾川の鉄橋を観察しますと、石積みの上に鉄橋を載せるところが同様にコンクリート(後年か)で作られ、そのさらに端はレンガ構造になっています。ひょっとすると、芥川の鉄橋も見えないところにレンガがあるかもしれません。しかし、観察するところでは檜尾川のレンガ部分に相当する場所もレンガはなさそうです。

参考 ブログを始めたころに記載した内容です。


20220814芥川鉄橋 (9)
では、西側の橋桁の下の架台部分の石積みを少し観察してみます。かなり盛り土があって、見えているところは少ないです。右と左で段差があるのはなぜでしょうか?単線時代は右側を走っていた?
20220814芥川鉄橋 (10)
右側の部分、よくみると写真中央。大きな矢穴があります。やはりここにも高槻城の石垣石が使われているようです。
20220814芥川鉄橋 (11)
いままで、レンガトンネルをよく取り上げていますが、このような橋脚でも古い構造が多く残っているようです。また、この西側にある女瀬川の鉄橋の下のレンガ構造は、失われているようです。芥川の鉄橋のレンガ部分は直接重量を受けるので、初期のようすは残っていないのかもしれません。川の中の橋脚も同様に上部はコンクリートになっているので、初期の構造ではないかもしれませんね。最近になって鉄道開通のころを調べてわかったことも多いので、現地を訪れながら投稿しますので、また続きをお楽しみにお願いします。

参考 いままでの投稿