加山雄三の若大将シリーズの映画ですが、第5作の「海の若大将」に高槻が写っているのは本当なのでしょうか。調べてみます。1965年(昭和40年)の作品なので、今年2024年からさかのぼるとなんと59年も前の映画です。昭和40年は高槻や映画の中ででてくる京都、大阪、神戸はどのようなようすだったんでしょうか。前回6月に投稿したんですが、今後いくつかピックアップして再投稿してみたいと思います(苦労して探したネタなど。。ツイッターの投稿なしで、よく見てくださる方のおまけ)

あらすじとしては、
京南大学の"若大将”田沼雄一、水泳部のホープ!
海の好きな雄一は、父親に内緒で航海学と水産学を専攻していたが、石山”青大将”新次郎のカンニングに巻き込まれ停学に。この事件がきっかけになで父親からも勘当された雄一は、”光進丸”の乗組員になるが、なんと船長は青大将。雄一を追ってきた澄子もこっそり乗り込み、意気揚々と出港するが、船は台風に遭遇。命からがら小島に漂着する・・・・。かくして、日豪水泳大会が開幕。澄子の声援を受け、雄一は決勝のプールに飛び込んだ!
のようです。
映画の終盤に出てくる加山雄三がオーストラリアとの水泳大会をしているときに、青大将と星百合子さんが名神高速を走り、パトカーが追いかけるシーン

(海の若大将から引用)わずかな時間ですが、緑ヶ丘高速バス停付近が写っています

(Google mapより引用)現在の名神高速道路です。
現在は防音壁ができています。奥に二中がわずかに写っていますね。

高槻市立第二中学校が写っていました。この校舎は昭和38年に建て替えされた校舎です。昭和37年の建て替え時には奥の校舎はありましたが、手前はまだ木造でした。
ちょうど映画に出ていたのは建て替えられた当時のころなんですね。それにしても西真上付近にまったく住宅がみえませんでした。古くからある笠の森神社のムクノキのご神木が見えていました。

(高槻の80年より引用)なお、名神高速が開通する直前のようすです。
これは昭和37年なので、このあと映画の撮影がなされたのではないでしょうか?しかし西真上はまったく住宅がありません。
おそらく写っていたのはここから上がったところを通ったときに撮影されていたようです。

なお、名神高速を通っていたときに

この山崎のあたりの鉄橋もわずかに写っていました。
このほか、京南大学の田沼雄一は京都に住んでいますが、街かどでは
京都の市電も写っていました。

さらにこれは夜ですが、プールの練習は、関西大学 (昔こんなプールあったかな)
学校のキャンパスは、関西学院大学 (今と変わってませんね)
オーストラリアとの水泳大会は、扇町プール(今はありませんね)
で撮影されていたようですね。
高速道路は、他に島本町付近、茨木インターが写っていました。
このほか、神戸の海のシーンも多いのですが、この映画のストーリを楽しむほかに、関西で唯一撮影されたこの映画で60年前の関西の姿がよくわかるのではないでしょうか。
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