金龍寺(こんりゅうじ)あとを久々に訪れてみました。江戸時代の摂津名所図会にも記載され、現在は太閤道と言われるハイキング道になっていて、成合から若山神社のほうに山越えをするコースがあります。金龍寺あとはこの途中にあります。

金龍寺川沿いに歩きます。これは、新しくできた金龍寺公園から少し登山道に入ったところです。
▶成合南の町 成合金龍寺川公園に行ってみた 太閤道ハイキング道に隣接

川沿いにはアジサイも咲いていました。登山道は左手で、

ここからしばらく金龍寺川の左手の斜面を登っていくため、川がとても下に見えてきます。ちょっと注意が必要。

八丁の道しるべが見えてきました。

そのあと、とても大きな白馬石が現れました。

登山道には、5年前の台風21号の影響でしょうか?

途中で、右手に参道を渡ります。

大きな石橋のあとがありました。

昔はここに石橋があったと考えられます。

この橋の手前には

何かがあったと思われるスペースがあります。

摂津名所図会では下のほう、惣門のあとにある「天壬辻」とあるんですがここでしょうか。

九丁の道しるべが現れました。

昔参道だったと思われる道が続きます。少し登っていきます。

十丁が現れました。

参道の左手に広いスペースが現れました。でもここは本堂があったところではありません。
このスペースは昔の絵図にはありません。

さらに登ります。

十一丁が現れました。いくつまであるのか?

急な階段が続きます

十二丁の道しるべが登場。右手に何やら大きな岩が。。

座禅石というようです。ここで修業をしたのでしょうか?

最後ののぼりでしょうか?

おそらく、この左手の階段です。というと上には平坦なところがあるはず。

右手にも道がありますが、階段のほうに行きます。

もう少しです。

広い場所に出ました。

十三丁のところまできました。

丸い池があります。

昔の図会にも丸い「弁天池」があります。

図にもある「社」という場所でしょうか?

池には大きなへびがいます。。。。

図の右手中央の階段にあたるところ。

登っていきます。ということはこの上は本堂があったところでしょうか。


右手にも石垣が残っています。

図にもあります、楼閣があったところでしょうか?基礎の石がありますので、ここにあったのではないかと思われます。

階段をのぼって中央の楼閣のあたりまできました。

図の左手の「方丈」と書かれている場所のようです。階段が図の位置とそっくりです。この上に建物はあったんですね。

本堂の手前の階段もありました。ほとんどそのまま残っているんですね。

本堂は、昭和58年に焼失してありません。

かなり広いスペースです。奥に行くと山を越えて若山神社に行きます。本堂の右手には
「六角堂」があったようです。(高槻の80年には当時の写真がありました)

たくさんの瓦の破片がありました。

建物がなくなり残念ですね。

ちょうどこの本堂付近です。

「六角堂」のあったところはこのあたりでしょうか。

本堂のあたりの広角写真

方丈といわれる建物あった付近の奥、*蔵(ちょっと読めないですが)があったところでしょうか?

ということで、下っていきます。

行きはまたいでいった金龍寺川の源流近く

サワガニくんがいました。

では、全体像を。(摂津名所図会より引用)西暦790年に創建されて、964年千観という人が入って再興したようです。天台宗のお寺だったんですね。長い歴史があったんですね。高槻にも他にあるんですが、おそらくここも明治以降仏教施設が恵まれなかった廃仏毀釈の歴史があるのかもしれません(今後背景もう少し調べて追記します)
なお、このあたりの発掘調査をされた動画を見つけました。
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