旧高槻城 門櫓と隅櫓はいくつあったのでしょうか?古絵図で調べてみます。

天下泰平と高槻城(しろあと歴史館)
高槻市史付録 を参考にさせていただきます。
天下泰平と高槻城(しろあと歴史館)によりますと、歴史が古い順に
①摂州高槻城絵図(形平松平家家臣)
②高槻城絵図(仏日寺)1600年代後半
③高槻城絵図(しろあと歴史館A本)1600年代後半(表紙)
④町間入高槻絵図(仏日寺)1700年代前半
⑤高槻城絵図(しろあと歴史館B本)1800年頃
⑥分間七百五拾歩壱高槻図 1840年頃
⑦摂津国高槻城絵図 1872年頃(明治5年)
が紹介されています。
これら眺めてみますと、お城の門や櫓の変化がわかります。
今回は
④町間入高槻絵図(仏日寺)1700年代前半
を代表として、門、櫓の数を見てみます。
唯一、建物の寸法が記載されている絵図で、その後幕末まで構成は大きく変わっていないようです。
三層天守閣 1
二層櫓 3
門(一の門) 7
門櫓(二の門) 7
一層櫓 3(二の丸、本丸)
不明門 3(橋がなかったとされる)
長櫓 1(本丸)
出丸北門 1
▶高槻城不明門 開かずの門が開いた!
この中で、ちょっと注目は、永井直清公が入場前後の1600年代は、本丸、二の丸の一層の3つの櫓は二層で記載されています。
あと、後年の絵図⑤⑥⑦は、④で本丸に記載されていた長櫓が記載がありません。
気づきとしては、
・門(一の門)とセットになっている門櫓(桝形門)が7つもあったのは、知りませんでした。
・不明門も1つの発掘調査報告に参加しましたが、あと2つあったようですね。
・二の丸、本丸にあったとされる、一層の櫓さらにそこに付属された建物もあったようです。
これが、とても気になっている一層櫓でして、次回に追加記事を記載したいと思います。
▶高槻城築城400年 特設ページ

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