高槻の謎として大阪から京都までの鉄道開業時の謎をいくつか投稿します。今回は、檜尾川の鉄橋についてです。神戸線の着手(明治3年)のあとに資金難から、明治6年に大阪京都(向日町)の建設が着手されました。開通は明治9年。京都までは明治10年開通。今年鉄道開業150年(京都線は146年)になりますが、どうも日本最初の下路式鈑桁(かろしきばんげた)の鉄橋だったらしいです。プレートガーダーという名前だったみたい。それって何でしょうか?実際に檜尾川の鉄橋付近に行って観察してみました。

現在の鉄橋は、一般的な上路式鈑桁(じょうろしきばんげた)というみたい。開業時、芥川の橋もこのような線路の下に構造物で支える構造だったようです。それより大きい川は、今でもあるトラス形式(車両の横に補強の鉄骨がある形式)の鉄橋だったようです。

しかしながら、開業時は檜尾川の鉄橋だけがなぜ、下路式鈑桁(かろしきばんげた)だったのでしょうか。適度な長さだったからではと勝手に推測します。写真ではサギくんも鉄橋を眺めています。
ところで下路式鈑桁(かろしきばんげた)って、どのような構造だったのでしょうか?

調べると、国道171号線の阪急京都線の鉄橋がそのような構造のよう。電車の重さを両側の鉄骨で支えます。線路の下の構造で支えるのではないようです。

サギくん、飛び立ちました。今の鉄橋の方に向かってみます。

線路付近に来ました。現在は複々線になっていますが、創業当時は単線です。

この左側の線路が昔の線路(後に北側に線路が拡張)のよう。

南側の鉄橋の土台部分ですが、開業当時のままの石積みとレンガ積みが見えます。

レンガ積みの部分までが当時の高さなので、下路式鈑桁(かろしきばんげた)だと、レンガ積みの部分近くに鉄橋を載せていたのでしょうか?

河床まで降りたらわかりそうですが、ちょっと河床は降りられません。(もし降りられたらもう少し観察します)

次に東側を観察します。こちらも今の線路の高さまでレンガ積みがあったようです。

さらにそのレンガをおさえる石までありました。おそらく当時から高さはこのままのようです。
ということで高槻の謎としまして、しばらく大阪京都の間の開業時の情報を投稿したいと思います。

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