江戸時代 高槻藩永井家の参勤交代 江戸まで何日かかったのでしょうか?今は高槻インターや、新快速で京都に10分で新幹線にすぐ乗れる高槻市。

昔も西国街道から東海道につながるメイン道路があったため、街道に出るのは時間がかかりません。しかし、歩いて江戸までは相当な距離があります。おまけに費用もかかります。費用の話はまた次にしたいのですが、
参勤交代の片道は何日かかったのか?
答え:30日かかった!高槻から出発の場合、最初の日は滋賀県の大津まで歩いたようです。1日30㎞くらいは歩いていたようですね。
参勤交代の片道は何人のお供があったのか?
答え:200人!他の藩の記録などでは、泊るところをかなり分散していたようですね。お酒とか飲めたんでしょうか。。
参勤交代は何年ごとあったのか?
答え:2年ごと! 幕末には3年、100日ということに制度が変わったようですがその時には幕府の力がなくなっていたときでした。
参勤交代 お供の人も2年間高槻に帰られなかったの?
答え:YES
高槻藩には約360人の役人(多くは足軽)がいたようですが、お供が200人となると、残り半分が高槻で仕事をされていたようですね。しかし、参勤交代の宿賃だけでなくて、江戸での滞在費はすべて藩の負担だったので相当費用がかかっていたのではないでしょうか(次回に概算出してみます)
参勤交代 永井家の江戸藩邸はどこにあったの?
答え:これは以前にクイズで出しました。ご参考までに参照をお願いします。実際近くまでは行きましたが藩邸あとまでは行けませんでした。
▶高槻の歴史クイズその7 旧高槻藩の江戸屋敷はいくつあったの?どこにあったの?
参勤交代 永井家は西国街道まで通った道は?
▶いつもの高槻 その43 めずらしい鉄骨の橋脚があるJR跨線橋 電車の眺めも最高 旧高槻城へ続く京口だったところ
▶府道79号線の工事に伴いやっぱり消え行く"八丁松原"
▶高槻八景のひとつ、八丁松原を撮ってきた
参勤交代 土下座場って何?
答え:以前に投稿で記載しました ご参考までに
▶西国街道の「土下座場」って一体何?
参勤交代 大名行列は高槻城のどこから出てきた?
答え:東大手門あと、ここからと推測します。
▶旧日本陸軍 工兵第4大隊の歴史を少し調べてみた その2
参勤交代の話はよく分かっていないことが多いようなのでこれからも調べてみたいと思います。参勤交代 費用はどのくらいかかったの?
これはよくわかっていません。現代なら200人が新幹線で300万、30日1日1万円かかったら6000万もの
お金がかかっていることになりますね。
参考文献:永井家十三代と高槻藩
参考 永井家に関する過去の投稿
▶高槻の歴史クイズ その12 旧高槻藩藩主永井家ゆかりのご子孫には有名な作家がいた!誰か知ってた?さらに一人じゃなかった! 追記
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