芥川の河口に架かる鷺打橋(さぎうち)の投稿を今までいくつかしてきましたが、その歴史はあまりわかっていなくて、初代鷺打橋は京阪電車の木津川橋梁の再利用ではないかとだけ記載していました。
sagiuti
その歴史を記載している昔の論文を見つけました。やはり京阪電車の木津川橋の再利用橋だったようです。というか厳密には再利用でなく転用だったようです。その理由もわかってきました。

現在の京阪電車(当時京阪電気鉄道)が営業開始したのが1910年明治43年(1906年明治39年渋沢栄一が創立委員長で会社設立)、しかし1929年(昭和4年)までに車両の大型化で耐荷重の不足で、わずか19年間で撤去されたようです。その転用先が、当時建設していた枚方大橋(昭和5年)と鷺打橋(初代建設不明だがおそらく同時期)のようですね。枚方大橋に15連、鷺打橋に1連転用されたようです。

さらに後、初代枚方大橋の架け替え(1967年昭和42年)で撤去され、鷺打橋も架け替えで(1990年平成2年)撤去されたよう。(ということは昔通っていたことがあった??気づきませんでした。。)
ということで鷺打橋の建設が1930年昭和5年と設定すると、1990年撤去まで60年間も使われたみたいですね。木津川橋で使われた19年間のあと、鷺打橋で使われた期間60年間の方が圧倒的に長いことがわかりました。

参考文献:土木史研究第11号1991年6月 明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第6報)


参考 過去の投稿
◆以下は2020年12月28日の内容です。
今日のさぎうち橋に落ちる夕日ですが、とてもまぶしくて困りましたがある意味きれいでめずらしいネタかなと思いました。
20201228sagiuti1
実際目で見るとまぶしくて直接見えません。しかし、信号を見なければなりません。。。どうすればよいのか。。。鷺打橋の謎を以前に書いているのですがこれを再び考えるひまはありませんでした。。。


◆以下は前回の投稿の抜粋です。
芥川南端の鷺打(さぎうち)橋ですがこれも古い橋ですね、、
sagiutibasi
写真にあるアーチですがよく見ると左右をつなぐ平行のはずの鉄骨が北側に斜めになって設計されているなぜなのか??初代鷺打橋の情報があまりない、、初代枚方大橋と同じ再利用橋だった?

参考:過去の投稿