高槻の西国街道沿いの歴史の超地味ネタです。西国街道の近くに昔の絵図によると馬塚という場所があったようです。

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場所はおそらくこのあたり(川西町、国道171号線近く)と思うんですが、いまはすべて住宅になっています。でも明治時代の地図や、戦後の航空写真をみてもそれらしき「塚」のような場所は見当たりません。
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記載があったのは昭和4年発行で、高槻町と芥川町が合併した記念、おそらく阪急電車も開通した直後というのもあると思うんですが、高槻の観光パノラマ地図なるものがありました。(高槻の西国街道企画展2109より引用)当時は高槻城のお堀あとや八丁松原もかなり残っていたんですね。このへんの話はまた今後にもするとして、
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パノラマ地図の左下、西国街道の南側です。芥川の左側です。当時は国道171号線はないので、国道付近かもしれません。江戸時代の絵図に記載はありません。昭和初年の観光パノラマ地図になぜ載っているのか気になります。馬による交通手段が主だったことから、馬の供養に造られたんでしょうか。

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後追いになりますが、なかなかまちかどで昔のお話を聞ける機会がないんですが、比較的近い機会としてこの先のお堂で地蔵盆などのころに、今後現地調査をしてみたいと思います。

参考 前回の投稿

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