富田丘町(とんだおかまち)の南側にあるJRの踏切は 富田村踏切(とんだむらふみきり)という名前らしいです。
JRの架線の電柱に富田村踏切とあるので、昔の名前がたまたま残っているのかなあと思いました。
しかし、その踏切を渡り南側に行くと
渡った反対側(南側)にも同様な表示が
さらに、踏切には堂々と「富田村 踏切」としっかりと書いてありました。
歴史を調べると、
JRの線路ができたのが明治9年
富田の地域が富田村になったのは明治22年
摂津富田駅ができたのが大正13年
富田町になったのが大正14年なので
この富田村という名前があった期間にこの踏切の名前ができたと推測します。駅がない頃はこの踏切は、南北を結ぶ重要な踏切だったのかもしれません。
この場所は撮り鉄の方も多いですね。以前通ったときには東京メトロの車両を運ぶ列車が通ると教えていただきいっしょに眺めたことがありますが、
今回は、機関車が機関車を運ぶめずらしいシーンが見られるということで教えていただきました。連結で2台だけが来ました。
撮影場所を誤りました。。
通過する後ろしか撮れませんでした。。。お話を聞くとそのような情報サイトがあるようですね。撮り鉄の領域にはちょっと踏み込みたくないんですがおもしろいネタがあったら撮り鉄になるかもしれません。。
あと明治以前の江戸時代とその前は今後調べて特集したいと思います。
参考 富田の歴史に関する過去の投稿
▶富田 江戸時代栄えた東岡宿を一周歩いてみる どんなルート? いったい何分くらいかかるのか?
▶【高槻の化粧地蔵の謎】 富田のお地蔵さんのスタンプラリーのときに少し聞いてきた その1 2018年
▶高槻の歴史クイズ その5 朝ドラまんぷくラーメンの工場は高槻のどこにあったのか?

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甲種輸送は新車を川崎重工から甲種輸送があるが、
平日に甲種輸送がたまにあります。