小ネタ


現在、西之川原地域は芥川の東側に位置しています。
しかし、慶長10年(1605年)にはなんと芥川の西側にあったんです!
…タイトル通りですね(笑)


どういうことかと言うと、慶長10年に芥川は
現在の塚脇橋(摂津峡公園手前の橋)より少し南の方で、
東の方向にぐいーんと折れていました。
そして、安岡寺方面から流れる「小山谷川」、
黄金の里・東城山方面から流れる「蝉が谷川」の合流地点付近で、
今度は南西の方向にぐいーんと曲がっていました。

この折れ曲がった隙間、芥川の西側に西之川原の集落があったんです。


じゃあ何で今は東側にあるの?っていうことなんですけど、
洪水から田んぼや畑、集落を守るために「川替え」の工事が行われました。
しかし、江戸時代初期に何百mもの掘削作業は大変だったでしょうね。。。


西之川原という地名にあまり違和感を持っていませんでしたが、
こういう理由があったんですね。


※このネタは「近世摂津國嶋上郡 服部村の研究 古藤幸雄 著」を参考にさせて頂いています。 
 江戸時代当時と現在の比較地図とか出したかったんですけど、
 資料の使用許可がとれていないので、またの機会に。



西之川原の場所