江戸時代より前にさかのぼった記事です。

昔の芥川と檜尾川の昔の姿はどうだったのか、、

高槻では昭和28年、最後の大洪水でした、
このとき芥川から西の多くの場所が浸水しました、。
それまでも大正6年の大塚切れといわれる
洪水もありました(このときも芥川堤防も
決壊)
もっと昔では津の江の筑紫津は港があった
という説があり、南部では遺跡がありません、
江戸時代淀川は20回以上氾濫していること
以上の情報に加えて、気になったのは
高槻市史の第1巻に、記録はないものの
江戸時代前には芥川、檜尾川は淀川に流れず
淀川手前で西に流れていた、
江戸時代前
高山右近のころ改修されて淀川に流れるように
なった
それ以降、森林伐採含めて天井川化したと
推測される
とする記載があります、、現在もこの説が
通説になっているか、?
少なくとも何名かお聞きする中ではこの時期から
新情報はないようです
このあたりの歴史新情報あったら更新します

コメント
コメント一覧 (10)
でなんで 芥ゴミ なんでしょうか 綺麗な流れ なのに。
芥川の中流あたり門前橋を渡ってすぐ、清福寺町の川沿いに阿久刀神社があります。
この あくとがわ がなまって あくたがわ となった説が
有力です。 三島県主(奈良時代)に拝礼 安藤
六甲山も「真砂土」----------------------------------
知事がテレビで「広島は他人ごとじゃない。六甲山も同じく真砂土です。」と、話しておられました。六甲山は、大昔、花崗岩でできています。花崗岩が風化すると、もろくぼろぼろと崩れます。本当に、あんなに硬かった岩がまるで砂の塊のようになってしまうのです。昭和13年の阪神大水害でした。そこから、神戸市、兵庫県は立ち上がり、根気強く、砂防ダムを築き続けました。それでも、昭和42年だっけ、努力の甲斐なく、梅雨の豪雨に見舞われ、。昭和42年水害 - 神戸市そこから、さらに砂防ダムやら堰を作り続けて、ようやく、少々の雨にはびくともしなくなってきたのに、平成10年、11年工事中の湊川が大洪水にみまわれました。それも、工事をしっかりして、もう大丈夫・・・川は護岸工事で固めた。暗渠は大きくした。本当に、水は恐い。(一部省略)
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以上は、神戸市と真砂土との戦いの歴史を物語っています。真砂土はたとえコンクリートで護岸していても基礎から根こそぎやられます。土木工事の真髄。
高槻を流れる淀川には木津川からの真砂土が流れ込んでいます。もう一度、神戸市の公開情報を参考にしたい。安藤
まず橋脚跡地から 下流に向かって
門前橋までは左岸を走り
ここから芥川橋の区間は新道拡張で判然とはしない
芥川橋の例のメタセコイヤは川側によけて通過
コニカミノルタ敷地内で離合線路があり
城西橋まで順調に、そして南庄内町で再び離合線路が
芝生大橋から大塚の高槻ゴルフのの北側には荷下し場所
なお土採取場の土はアクアプールピア付近が使われた
以上 地図上での 検索結果の想像上の結論です
昭和30年頃の 現場を知ってる ご老人も 85-90歳
今 実地聞き取り調査の チャンスなのかも 安藤
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訂正:日吉台ーーーー>南平台1丁目の北はずれに
安藤
では一方の 滋賀県信楽の粘土は なんで 陶芸には世界最高の特性であるんか・・・ 有機物だから。
エ! 粘土が 有機物。そうです 微生物がいっぱいはいっていて 粘着力が 強いのです。だから河川の堤防が大雨でも「ガシット」粘着してくれるが そうでない真砂土は 土木構造設計をいくらやっても 大雨には 耐えられない原理
南平台の採掘土を調べたいことの意味なのです 安藤
アッタ 日吉台1丁目の北はずれに、今も 土砂採掘跡地がそのままの形で放置(管理保管)されている現地確認。
第一公園から遠目でしか確認は出来ないが、多分この場所から山土を採っていた。ならば 粘土質であり堤防補修工事にはさいこうであったろう。想像ですが
また機会があれば址地の中で粘土特性を実地確認してみます
註:粘土でも 中国北京・韓国・台湾のは陶芸には向かず日本の信楽から全量を輸入しています。安藤
木津川はいわゆる天井川となりやすい性質で、即ち 真砂土で、花崗岩の風化砂で構成され、一般的には 平時と降雨時でがらりと 堤防の土斜面の性質が激変します。いわゆる伏流水の原理です。
ところで川底には流れ易い真砂土が豊富なので この川床砂では絶対に堤防改修工事には使用してはひとたまりもない。
はたして 当時のトロッコ工事では どうだった? これが問題だ 安藤
淀川大決壊の修復工事で
https://ameblo.jp/osaka-higasiyosumi/entry-12145049204.html
これは 大塚切れ の記憶の一つでしょうが
それにつけても 淀川の川底の改修堤防補強工事で
当時では知らなかったようでしたが 大失敗がのこっています 一部は資料として公開されてはいましたが 今は削除されているようです。
ヒント:U字型堤防は安全
V字型~W字型堤防は 長雨と過流に弱い
淀川の堤防を自転車や徒歩で散策すると場所場所で堤防工事の技術差が発見できますよ 安藤
註:粘土の強力度の差は どこにあるのか?
別途にでも 陶芸土の不思議・・・・・
いつも詳しいお話ありがとうございます。
ちょっとお聞きしたいのですが、
昔、芥川に土汽車が走っていた記録がありますが、
何か知っていますでしょうか?
このとき芥川から西の多くの場所が浸水しました
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この浸水では ちょうど国鉄線路ギリギリまで浸かってました。
さすがに 国鉄さんは 浸水レベルの予測が的確 と妙な感心をしていた。阪急電鉄さんは ながらく Stopしてました 安藤