石垣編に続いて【天守閣】編です。
高槻城の天守閣については詳細
わかっていないみたいですが、
3層だったこと、昭和51年旧島上高校
体育館の建て替え工事に発見
された石垣石とともに多くの瓦が
お堀側に捨てられていたという
情報しかありません。
材木などはどこかに転用されたのか??
そういった情報もありません。
(補足情報あれば今後更新します)
明石城は天守閣がなかったのですが、
櫓が4つ作られ、現在2つが残って
います、明治初年には3つあった
けれど櫓の1つは小学校建設に
転用されたみたい、
大手門から入ってすぐ左右に2つの
3層の櫓が見えてきます。

向かって右側が巽(たつみ)櫓、

左側が天守閣の代用だった
坤(ひつじさる)櫓です。
この2つの櫓は石垣の上少し高台にあり、
櫓へは東まわりに登っていきます。

夏場は櫓の公開されていないよう
ですが、築城400年前の夏休み
ということで土日だけ坤櫓の公開が
されていました!ラッキー!

櫓のある二の丸まで登ると何やら
外国人歌手??が巽櫓をバックに
PV撮影?されています、、(笑)

東側(向かって右)の巽(たつみ)櫓を
近くで見るとこんな感じ

西側(向かって左側)の坤(ひつじさる)櫓です
1階が公開されていました。
おそらく高槻城の天守があったら
こんなだろうと推測します、

多くの筋交いがあります
筋交いの入ってる多くの柱は
おそらく1尺くらいあります

2階へは急な階段が、、

50cmくらいの丸太の梁が鉄枠で
固定されています

1階の窓?から覗くと
天然のクーラーみたいな風が、、
外には球場があって前日は
兵庫県大会の決勝があったみたい、、
下はおもむろに超重要な瓦などがいっぱい、、

この櫓は実は築城時に別の城から移築
されたみたいなのでおそらく400年以上
建っています、
説明の担当の方も高槻城との関係を
よくご存じでした(当然か)
勝手に選定して勝手に行って勝手に
感慨にふけって勝手に登録しました
また今後補足情報あれば追記して
いきます
来週末土日もおそらく
公開されていると思います。(要確認)
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