高槻城築城400年を記念として
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今は石垣や木造建造物の無い高槻城ですが、
もし、石垣や天守閣があったらどんな感じなのか??

今あるお城の中でどのお城が最も近いのか??
勝手に選んで実際行って観察してきました。

そのお城は明石城です。
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新快速では54分ほどなのですが、車で行ったのが失敗…
神戸で渋滞に捕まり、3時間もかかりました!(泣)

というのはさておき…
江戸時代石高は高槻の倍近く6万石、
成り立ちが高槻城に縁があります。

築城400年の前の話、
高山右近は高槻城主から明石へ、、

この城主の転勤で城の大幅改修してます。
この話はまた今度。


今回は徳川幕府になってからの修築された石垣編です。
徳川の普請の築城は1618年、
高槻城の1年後に普請の改修がなされています。

おまけに石垣は高槻城と同じ
小豆島からの石垣石!


更に1年違いの築城ならば、
同じ職人がほぼ同じ寸法で作ったはず。

本当に今の高槻に残されている
石垣石と同じようなのか観察してきました。

まず、びっくりしたのは
駅からすぐお城のお堀が目の前に、、
東西のお堀が長いこと!

中央にある大手門から入ります。
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枡形になって直角に曲がります。
高槻の大手門(現代劇場と171号線の間にはこのような門があったと推測します)

門の石垣はどんなのか?
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この色は?なのですが
大きさはこんなものか?
江戸時代1619年築なので、
花崗岩を割って積み上げている
ため断面は平坦です、
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角は算木積みと言われる
四角い長い石を交互に組んでいきますが、
その他は隙間に小さな石が埋め込まれていますね。
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櫓へ行く途中の石垣です。
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この石も矢穴があって割った跡があります。
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櫓の手前の石垣です。
角は算木積みです。
長い方向でないところに2つ積んでいますが、
後の時代の大きなお城の石垣は3個になるらしいです、、
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これも大手門の向かって右側裏側の写真です。


高槻城の大手門や本丸の石垣は
実際こんな感じだったのではないでしょうか?
そうすると、明治9年のJR東海道線建設には
使えない小さい不揃いの石もあったはず、、

それとも、高槻城の石垣は
もっと勢揃いした石垣石だったのか。
その可能性もあります、、
もう少し調べてみます!


【余談】
明石城は阪神大震災で大きく石垣が崩れ、
復興に5年かかったみたい。

次回に登録します櫓も
そのため曳家で石垣から
移動したみたいです。