先日
阿武山古墳と今城塚古墳がどちらが古い?
というクイズを登録しました。
このときの阿武山古墳の写真は
実は2月13日に登録しました、
京都大学地震観測所を見てきた
という見学会の最後に現地を教えて
もらったときのものです、
ここの所朝方少し涼しいため
そもそも阿武山古墳に歩いて行く
ルートで一番近いルートは知らない
ためどんな感じか実際見てきました、、
起点は奈佐原のダイキの前の
駐車場です
阿武山図書館から大和の
方に歩きます。
小学校の前を歩いて
大阪薬科大学の方(右)に
曲がります
大阪薬科大学までいって左に
少し曲がってさらに右に山の方に
向かい、写真の道をすぐ右に曲がり
ます。更に進むと未舗装のところが
あり、
更に進むと再び舗装された
道が現れます
すると、京都大学地震観測所の
入り口が、、阿武山古墳は
同ルートになるため門柱の
横を通って車道を進みます
途中見晴らしの良い場所を
通って大きなえのきの木が
2本現れました、、
これも勝手に300年級と推測、、
日本の本来の森林はおよそ
200年くらいの周期で木が
世代を変えているみたい
ですが、それより幹が一回り
大きいような気がします
(芦生京都大学演習林の
イメージから勝手に推測)
2本目です、
さらに進むと京都大学地震観測所
が右手に見えます
さらに進むとなんと自販機が、、
樫田以外で最高所の自販機では?
さらに電気は入っているものの
お金を入れても動作しない、閉店中か、、
写真の左側の道の突きあたり
右に進むとすぐに阿武山古墳
669年藤原鎌足の墓と考えられて
います、
ボランティアの方がすぐ近くで
お花を植えられていました、
少し調査した歴史の謎とは?
・古墳なのに墳丘がない!
地下3mに墓を作っていた
当時の古墳ではまったく
ない構造みたい
・中臣鎌足の墓は別にある
説がある、
・1400年も前の人物の
レントゲン写真がとれる
ような遺体が何故残ったのか
・藤原(中臣)鎌足の子孫は
違う場所に鎌足を祀ってる
墓を隠していたので子孫が
間違った??どうもそうでも
ない理由もあるみたい、
詳しい方は答えをご存知かも
しれませんが、、今後引き続き
謎を調査します、、
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