西国街道の郡家新町の今城古墳公園の近くに旧道の分岐点がありますが、ちょうど工事中のようで、そこにあった3つの道しるべのうち2つが出張中?のようです。

これが現在残っている街かど遺産の道しるべです。

以前この大きな道しるべ以外に2つありました。

一つは民家の壁に埋まっていた妙見道の道しるべ。

総持寺道と妙見道の道しるべもありました。各時代や、設置された背景がそれぞれい違うかもしれません。いまこれを見てその方向に向かう方はいないと思いますが、またこれらがこの場所にそろうことになるのでしょうか?
◆以下は前回の投稿です。
西国街道の郡家新町のいましろ古墳の近くに旧道の分岐点がありますね。てっきり北部への分岐は巡礼橋のところかと思っていましたが違いました。時代が変わるごとに3つの道標が建てられ当時の重要な交差点だったようです。
右が妙見道 左が西国街道
ひとつの道標は住宅の囲いに埋まっています、
左側が読めない、
自然石を使った道標には左に総持寺の案内も
能勢の妙見山ご存知でしょうか?イメージはケーブルカーでいける山頂の大きな駐車場があり、天体観測ができる夜回りの警察の方と仲良くなれる、ですが、日蓮宗の大きなお寺があり能勢の領主 能勢頼次という人が開祖のようで、現代のような軟弱な心で行くと怒られそうです、、。わずか余野のバス停から妙見山に歩いて登ってへとへといになった経験からもここから歩くのはいかに大変なことかがわかります、、
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