江戸時代、富田から総持寺に行くとき、旅人はどの道を通っていたのでしょうか?とても気になっていました。西国街道の巡礼橋を南に富田方面に巡礼者を導いたようですが、そのあとどのように歩いたのか、よくわかりませんでした。ネットでも実際歩いている人がいませんし、市の歴史資料などでも情報がありません。では一度歩いてみようということで先週日曜午後に歩いてみました!

起点は富田町4丁目の清蓮寺の角です。

ここには大正年代に置かれた道しるべ、唐崎、枚方道が書かれていますが、総持寺道という記載がありません。大正時代にはもう歩かれなかったのかもしれません。

昔の旅人も歩いたと思われる旧道を歩きます。

通りがかりにいきなり気になる石が、、

少し坂になって谷のような形になっていますが、ここが結構重要な場所のよう
左は本照寺、右はおそらく西国街道の巡礼橋からの道と思います(私見)この先、西側には坂があり

跡坂と言われる場所だったようです。

さらに西に進みます。富田小学校の前の大きな道にたどりつくのですが、そのすぐ南には

以前も投稿したスマイル公園があります。ぜったい足裏が痛いです。のでここをチャレンジするのはスキップします。

大きな道を渡り、

西に進みます。

さらに進みます

どう見ても昔の道しるべのように見えます。地図で見るとこの交差点の南北は昔からの道のようで、北は富田村踏切からくるようです。

さらに進みます

すると左側に墓地が!突然現れてさらに密集してます。

その先には団地の公園があり、

阪急の線路沿いになります。少し線路沿いに歩くと、赤大路の踏切になります。

ここは直感的に危ない踏切ですね。車が1台しか通れず、人と一緒に通行できません。ここを渡りその先の道を行くことになります。

人通りはありませんが、阪急総持寺駅の近くになっています(駅は左側のほう)

旧道だったけれど少し広くなった場所もあります。このあたりから茨木市になります。

総持寺町2丁目

市の大きな建物が出現。 総持寺いのち・愛・夢センターのようです。右上の絵柄がコロナに見える。。この付近で標高16mの表示がありました。たしかに富田から歩いてきてこのあたりが一番高いような感じです。

このあと酒屋さんがあり、まっすぐ進みます。おそらく左に行くと総持寺駅です。

途中で八幡神社という小さな神社がありました。

さらに進むと大きな民家があり、総持寺の東門に到着しました。

下馬とあるのはここで馬を降りたのでしょうか。

東門をくぐるとこんなかんじ。

西国三十三所の第22番の総持寺の本殿が見えました。

久々に訪れ参拝しました。

カフェ?が気になりつつ

中を一周歩いて再び同じルートで戻りました。往復参拝含めて約1時間、約5000歩でした!
参考:高槻を歩くシリーズ(勝手に名付けてます)

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