急に地味ネタ投入失礼します…。

昨年、8月20日に書いた
トンネルシリーズの第1弾

の続報です。

場所は正確には川西町でした…。
tonel_no1
トンネルシリーズを始めてから、
高槻城の石垣石が使われていた
という話を知ったため、
途中から土台の石材部分も
観察するようにしていましたが、
どう見ても石垣石を割った痕跡が分かる
矢穴(やあな)が見つからず、
個人的に懐疑的でした。

改めてこのトンネルを観察しますと、
ここの石には他には無い特徴が、、、

入口から5mくらいはレンガの補強のためか、
表面をコンクリートで覆われているためか、
分かりませんが、奥の中央と入り口の石垣石は
多くの矢穴を空けて大きな石を割った跡があります。

入り口の石垣です。
tonel_no1_5
真ん中のに割った跡が、
跡には石が埋め込んであります。
tonel_no1_6
入り口最下段の石ですが、
合わせの左右に矢穴の跡が、、
tonel_no1_4
中央の石の右下と左に
矢穴の跡が、、
tonel_no1_2
トンネルの中の石です。
石の下側に4つの矢穴が、、
tonel_no1_3
レンガの真下の石にも割った跡が
割った方向は奥の方向のようなので
薄い石を作る必要があったのでしょうか。

元々の矢穴とこのトンネルを作った
ときに分割された矢穴と分けるのは
難しいですが、大きな矢穴のあとは
もともと高槻城の石垣にあったもの
ではないでしょうか?
(ご意見ください!)