昨日投稿した大イチョウのある富田は東岡宿、教行寺を中心としたいくつかの地区で構成されていたようです。今回はその中で江戸時代栄えた東岡宿(ひがしおかしゅく)を一周歩いてみました。そもそも昔どんなところだったのでしょうか?ルートは?いったい何分くらいかかるのでしょうか?歩いてみて気づいたのですが、化粧地蔵のスタンプラリーのコースに似てない?という印象でした。
参考にさせていただいたのは富田のまち歩きMAP(けさたんと会、笹井屋)、高槻市史第2巻の明治初期の富田の地図、東岡宿古絵図(街かど遺産冊子)です。
高槻市史にある明治初期の地図で清蓮寺の前から図にある番号で時計回りに歩きました。
このコースは古絵図では堀に囲われて主要な入り口には門があったようです。
まずスタートは東岡宿の北側中央だった清蓮寺の前からです。
東に行くとすぐこすもす公園、奥の大イチョウがかなり刈り込まれてました場所です。
進むと少しカーブし、
2番の蓮如上人の腰掛石が現れます。街かど遺産になってます。
すわってみたいんですが、、少し離れて見るだけになっています。
進むと3番の東岡宿の北門跡です。
この先少し進んで右(南)に折れます。
路地は細く左側は一段低くなっています。昔の堀のあとでしょうか。
少し進むと4番の圓通寺。一段高くなっています。
この先路地は少しギザギザになってます。
すぐ南(左)に折れます
この先また右(西)折れます。
するとここから少し上ります。
途中の民家からは大きな花崗岩の石と線路のようなものが、、昔お酒か何か運んでいたのでしょうか?
登りきると左手に曲がり再び下ります。
5番の旧紅屋付近
6番の東岡宿南門跡付近です 正面は筒井池の南端
道を渡って筒井池のところには昔の水門跡があります。(7番)
現在は小さな池ですが昔は図にあるように本照寺の横の公園まですべて池でした。
8番の本照寺のよこを歩きます。本照寺の壁も新設工事されていました。
筒井池公園と本照寺の間、9番の五社水路と言われる安威川からくる水路で昔の筒井池(当時の右側)に流れていたようです。
本照寺沿いに北にしばらく行くと
10番の東岡宿西門跡に来ました。
ここでは曲がりません。
もう少し北に行くと
図の11番の跡坂と言われるところで右に曲がります。
再び少し上り坂になりますがもう少しです(12番)
清蓮寺の北側に来ました。
お寺の前の広い通り(セブンイレブン近く)に戻ってきました。(1番に戻る)
ここにはからさきひらかたみちの道標があります。街かど遺産のプレートは建設中でした。。
さて、このルートは約25分、約2000歩でした!(高槻城外周の半分)
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▶高槻城の外堀道を歩いてみた
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