高槻から少しおでかけのシリーズです。今回は兵庫県猪名川町の多田銀銅山を訪れました。新名神ができて高槻インターから川西インターはわずか20分位、さらにおりてから20分位の場所です。高速をおりて4車線の府道をしばらく走ると銀山口という交差点で、銀山川という川沿いに入ります。多田鉱山跡へ曲がってしばらく行くと、多田銀銅山悠久の館という資料館が現れます。
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駐車場5台とありますがすぐ近くにも5台以上止められる場所もありました。でも止まっている車は1台、静かすぎます、、
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手前には大きな案内板がありました

◆悠久の館
多田銀銅山の歴史や鉱石のサンプルが展示されています。
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さわって良い、鉱石サンプルもありましたが、ふつうの石に比べて銅や銀の鉱石はめっちゃ重いのですね。
資料館内は撮影できないので写真がありません、、

◆精錬所跡地
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昭和30年以降の事業者が精錬用の機械が取り付けられていたところのようです。
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レンガの構造物はこの右側にも続いています 精錬後の残留物の塊もおいてありました 重くて動かん、、
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多田銀銅山1000年の歴史の最後の方の精錬の方法の説明板もありました

◆金山彦神社(かなやまひこじんじゃ)
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住宅が少し間にあり奥に行くと神社があります
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この川沿いも昔の精錬場のあとのようです 川を渡って階段を上がると、鳥居が見えてきます
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807年に建立とのことですが、現在の本殿建物は寛文年間(1670年ころ)のもののようです それでも古いんですね、、

◆青木間歩(あおきまぶ) 神社の奥を少し歩くと昔の坑道があるみたい
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2箇所あって江戸時代の手堀りの露頭堀りと、後年の削岩機を使った坑道があります。この坑道は唯一入れます。入れる部分の深さは50m近くあるでしょうか?電気はついています。入り口には一応ヘルメットがありました。
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つきあたりでさらに右に折れて
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かなり奥までいけます、、しかしこの付近ですれ違う方はいません、、、静かすぎです、、、
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岩肌もちょっと色が違います、、
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ここでは1トンあたり、金が0.2g、銀が0.5kg、銅が20kg、鉛が5kg、亜鉛が28kgも取れたんですね
鉱石マニアの方にはめっちゃ嬉しいところでは?、、

◆その他 さらに奥に行くと、
更に川沿い奥には昭和19年から昭和48年まで創業した日本鉱業の事業所あとや、多田銀銅山大露頭(だいろとう)といわれる表面に現れている砕石跡や、青木間歩と同様な坑道がある台所間歩、瓢箪間歩があるようです。

◆高槻藩との関係は?
1840年に高槻藩あづかりになったようですね、その後変わったようですが、1844年から再び高槻藩あづかりだったようです。代官所の門跡があるようですが馬に乗って通れるようになっていたらしいですが、高槻から馬で走っていたのでしょうか、、
明治2年に代官所がなくなったということはこのころに旧高槻藩あづかりではなかくなったのでしょうか?でも三菱が運営するのはかなり20年代最後になるようです

◆新名神で行った感想
実は新名神を高槻ICから西に乗るのは初めてです、、トンネルが多いですね、神峯山寺の短いトンネルのあと、芥川から安威川までずっとトンネル、さらに茨木から箕面も長いトンネルがあります。さらに箕面から川西もトンネルが、、、



◆多田銀銅山のすぐ北の地域との対比がすごすぎ
実に静かな銀銅山のすぐ北には猪名川町の大きな住宅地とイオンがあってあまりの規模と人の多さになんか不思議なかんじがしました、、、

◆おまけ 新名神を西から帰ると高槻手前の茨木側の原萩谷トンネルの西側斜面がすごいことに、、
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なんだこれはこんな斜面を見たことがありません、、。今後木が植えられるのかな?