高槻市城跡公園に気になる謎の石造の水槽があります。どう見ても古そうです。
水をうけて手洗いできる水槽になっていますが、とても大きくてよく見ると渕に柱でも建てるような溝が掘ってあります。旧高槻城が廃城になったあと明治42年に陸軍工兵第4大隊がくるわけですがこの石造の水槽のある付近には兵舎や医務室などがあったようです。井戸の横に配置していたものではないかと思います(私見)。
しろあと公園で発見された井戸跡は滑り台のある付近にあった藩士の旧宅付近にあったようです。もしそれがそのまま兵舎で使われていたのならその近くにあったのかもしれません。(あくまで推測です)
ちなみに市でもこれがどこにあったのか現在わからないようです。もしどなたか知ってたらお教えください!
参考までにしろあと公園ができる前の第1中学校としろあと公園付近のようすです。(高槻城400年記念講演の配布資料より引用)旧教育用水槽というのもあったようですがこれは違うようなかんじです。
参考 工兵隊関係の過去の投稿
▶旧日本陸軍 工兵第4大隊の歴史を少し調べてみた その2
▶旧日本陸軍 工兵第4大隊の歴史を少し調べてみた その1
▶旧陸軍 工兵第4大隊の正門をみたことある?
コメント
コメント一覧 (1)
親に聞いてみると、この水槽は公園内の井戸跡の横にあったものを移設してきたと言ってました。それがどこにあったのかまではよくわからないのですが。
公園内の場所を親と話すときに、母子寮があった場所覚えてるか?とか言われても、もう記憶にない世代なので、それ以上、話しがリンクしないのです。