高槻の歴史に関するクイズ その2です。 JR高槻駅に一番近い街かど遺産は何でしょうか?これはけっこう難しいです。
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駅のデッキのところにあるやん、という方、これはちょっと近いのですが、このJR高槻駅にある街かど遺産「山崎合戦の秀吉本陣跡」の「場所」は正確にはここではなくて、もう少し北の上宮天満宮の大鳥居の付近一帯のことを指しているようです。本陣はどこにあったのかは細かくはわかりません。豊臣秀吉は上宮天満宮まで登って駐屯していた可能性もあります。本能寺の変で織田信長を滅ぼした明智光秀を山崎の合戦で破るのですが、その前に準備でこの付近に集結、万が一の砦にした可能性あるみたいです。その意味では超有名なんですが、 

答えはJRに近いのは「松永久秀の鼓塚」という街かど遺産のようです。そんなん知らんやんと聞こえてきそうですが、、
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場所は郵便局の南東角の交差点のコンビニの入り口付近にあります。江戸時代、この付近に塚があったようです。それは戦国武将松永久秀という方は、東五百住出身らしいです。この人物が鼓(つづみ)を埋めたと言われ(伝承されて)た鼓塚(つづみづか)が幕末ころまであったようですね。
実際、昔の絵図(市発行の天下泰平と高槻城P54 )と比較してみると、センター街の道はかなり細く書かれていて、芥川宿からのメイン通りは出屋敷通りからは上宮天満宮の参道で直角に折れて(センター街の細道はあった)その先阪急の高架までの中間で再び南東に行く道で高槻城に行っていたみたいです。その細く描かれていたセンター街付近の北に(プレートに描かれている)鼓塚があったようです。