すいませんがここ数回過去ネタのリメイク版がときどき登場します。
高槻で有名な2トップ?の古墳、阿武山古墳と今城塚古墳のクイズです。
それぞれの歴史を細かく書いても面白くないので簡単なクイズにしたいと思います、、
阿武山古墳と今城塚古墳はどちらが古いのか??
阿武山古墳の外観です。
今城塚古墳です。
年代についてご存知でしたでしょうか?
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【答え】
阿武山古墳 西暦669年
今城塚古墳 西暦531年
なんと138年も今城塚古墳が古かった!
といっても両者とも古墳時代の後期のようです、
あの法隆寺の建立が607年ですからちょうどそれを挟んで前後みたい
天皇さんの代でいうと
継体天皇(今城塚古墳)★
安閑天皇
宣化天皇
欽明天皇
敏達天皇
用明天皇
崇峻天皇
推古天皇(法隆寺)
舒明天皇
皇極天皇
孝徳天皇
斉明天皇
天智天皇(中大兄皇子)
(天皇側近で大化の改新の中心人物
藤原鎌足:阿武山古墳)★
天武天皇
持統天皇
のようです、、実に読み方難しいデス、、天皇さんもその138年の間に13人変わっているみたいですね、、
(2017年8月12日投稿の更新版)
参考 過去のクイズの投稿 その19より前は下記の投稿にリンクあります。
コメント
コメント一覧 (7)
縄文時代は1万2000年前、いや2万年間の平和なそして世界にほこれる文化的生活を営んでいたという。
弥生時代は渡来人からの技術を学んで生活に密着した陶器が作られた。焼成温度が上がったので陶器の厚さが薄くなっています。
さて古墳時代には埴輪が大量に量産されて古墳の祭儀とした陶器であって、日用品ではない。例えば円筒型埴輪であっても底がないとか。
話を縄文土器にもどすと、単なる陶器の表面に縄文文様を縄で付けたのはデザインだけではなくて、たぶん 龍。蛇の魂を鋳込んで人類永遠の生命の願いをこめたレトリックでありシンボルであった。
この美的感覚は現代人にもいまだまねすることが出来ていないのであり、、陶芸美術としては 最高の出来と今なお評価されるゆえんです。。 安藤
に興味津々です。私のアマチュア的考察で申し上げますと
900-950度
考察の理由は
1.ハニワ工房公園を見学して登窯の勾配が平坦である
2.エントツ構造が見当たらない(再現してないのかも
3.最大登窯は西向きであり冬の西風と取り込んで入るが
その他の中小型窯はなんと南向き(ここでは南風は無理
註:登窯・穴窯の温度は 熱力学(理解は流体力学)の勾配・落差で流量(熱量)が決まる。エントツ出口が700-750度であれば あとは窯の構造傾斜と流量で決まる
ハニワ工房の見学で アマチュア熱力学的考察でした。 安藤
もともと 墳丘の上には鎮魂・祭礼等の関連で登っていけなくて、造出(くびれ部の突き出し部)で 「祭祀を行っていた」
したがって ここに祭祀の儀式の場所であって 拝礼の場所でもある。 再建、再考をこい願う アマチュア神話 安藤
従って 今の天皇家は継体天皇の血筋であり ここには
仁徳天皇系の武列天皇以前の誰かが祀ってあることになる。
そのヒントとしては 大田茶臼山古墳が ほぼ南北のに構築され
後円方向を延長すると 元伊勢神社(天の橋立北のケーブル駅付近:お伊勢さんへ遷宮する前の神社であった)
前方部を延長すれば 飛鳥地方のどこか(橿原か大和三山)につきあたる だったら OO天皇家の誰か となる
アマチュア神話より 安藤
いまは 暑中の真っ盛り でも 9月の声をきくと
童歌の活気のある賑やかな児童の声が響く
鶴=お伊勢さん 亀=出雲大社 は一般的呼称
すべった=統治の契りを結んだ
後ろの正面=出雲大社は拝殿に神が横向います
だから西向座であって その後ろはお伊勢さん方向
国譲りのイベントは かの大国主命の鎮魂の義であって
結論は 後ろの面 誰=大和朝廷の天照大御神となる アマチア古代神話の一つをご紹介しました
継体天皇陵の古代の神話と解読 安藤
(註:かごめ の意味には モット面白いですよ
>西に伸ばせば 出雲大社に
>東に伸ばせば お伊勢さんの外宮のつきあたる
初めて知りました。
面白い情報ありがとうございます!
随分以前から この不思議に興味があり 日本列島地図とくびびっぴきでしたが 最近の google earth の精度から正確に割り出すことができました。
西に伸ばせば 出雲大社に
東に伸ばせば お伊勢さんの外宮のつきあたる
当時の 継体天皇の 家系継体の史実さらも
充分に 納得 と自己満足しています
今日も 今城塚周辺を 散歩しながら 当時の継体天皇の
業績を偲んでいます。 安藤