萩谷鉱山の謎 その2 としまして、今回は萩谷総合公園ができたときに工事区間にはいるため一部の鉱山跡を調査されたことがあるという情報を知りました。きっかけは平成8年の高槻市文化財年報です。最近はネットで登録されているようです。そのときの情報を知るために、
20201203hagitani3
高槻市の埋蔵物文化財調査センターさんにお願いし、その時の遺物鉱石とみられる石を見せていただくことができました。通常遺跡調査が主なのですが近代の遺構の調査はめずらしいようです。事前に日程を調整させていただき緊張して伺います。。ご担当のかたにご挨拶し閲覧の申込書を記載します。そのあと、研究室なる部屋に案内されました。通常は土器などの閲覧は見る側も調査経験などがないと簡単には見せていただけないようですが今回は特別のようでした。
20201203hagitani4
これらが鉱山跡のからの採取した石のようです。銅鉱石がすべてなのかわかりませんが茶褐色の酸化した色があります。中央の薄茶色の石は以前に訪れた沢で見つけた石にそっくり。
20201203hagitani6
これらも酸化しているようすは銅鉱石なのでしょうか。(ネットで探すとよく似た色の銅鉱石もあります)
20201203hagitani5
萩谷鉱山あとで見つかったタガネ(石を割る鉄の棒)です。折れているか腐食して一部しかありません。調査報告書にもこの遺物についての記載がありました。
20201203hagitani1
平成8年の報告書の冒頭と坑道の図の一部を引用させていただきます。場所は地図の黒丸のところで萩谷に向かう東海自然歩道沿いのようですが、その後萩谷総合公園が作られたため、地図が現在は変わっています。この場所はおそらく残っていません。おそらくジグザグの歩道が直線になる付近と思われます。
20201203hagitani2
当時残っていた坑道は竪穴で入って坑道が2つに分かれていたようです。記載では明治10年ころから掘られていたのではないかとありましたが、清水村誌によると大正時代に掘られていた情報もあることから明治から大正にかけて操業されていたのかもしれません。
今後、コメントいただいた情報のほか、ほかの情報をもとに、下に記載しています前回のその1ではよくわからなかった現地を再度訪れてみたいと思います。(続く)

萩谷鉱山の謎 その1
萩谷に昔「鉱山」があったということをご存知でしょうか?おそらく高槻市民の多くのかたが知らないんじゃないかと思います。情報を知りたく少し調べました、、

今回はその鉱山の謎その1として、当時の場所がどのあたりだったのかだけですが投稿したいと思います。

どこにあったのかほとんど記録がありません高槻市自然史博物館(アクアピア)で少し教えていただきました。場所は摂津峡の白滝の上流のようです

アプローチは3箇所からいけます
①月見台のバス停から摂津峡方面に降りる
②萩谷運動公園の野球場とサッカー場の
 間の東海自然歩道を降りる
③摂津峡の白滝手前から東海自然歩道を登る
今回は②の萩谷の公園から降りて付近を見てきました
hgt_kozan1
上の地図の右下の至摂津峡とある道から降りていきます
久々に萩谷総合公園に行きました。野球場とサッカー場の間の東海自然歩道を下ります
hgt_kozan3
歩道がジグザグで降りていきます
hgt_kozan4
約10分くらい降りると民家の農地が右手に見えます
hgt_kozan5
下りきると沢があります。この沢は摂津峡の白滝の近くの支流の上流になります
hgt_kozan6
この沢の岩を見ると茶色っぽい岩石が、、ちょっと他と違う感じです
hgt_kozan7
通り過ぎてすぐにも小さな石橋がこの付近の右手、奥は関西電力の変電所なんですがこの近くに2つの
銅鉱山があったみたいです
hgt_kozan8
この沢を見上げると奥は私有地らしいですがこの沢の右手奥、下ってきた途中右に横峰鉱山(のちにこの右手および反対側の北側斜面という情報もあり調査中)、沢のこの左手奥に岩戸坂鉱山という銅鉱山があったみたい
稼働していたのは明治5年ころから大正時代みたいです。この先調査は難しそうですが機会あれば
その2でまだ鉱山跡があるのかなど調べたいと思います、、、、

google mapでは東海自然歩道の白滝 付近のルートがわかりにくいのでご注意を